こんにちは。いくえです。
大分市は台風の影響も少なく、難を逃れましたが、引き続き、大きな被害が起きないことを願います。
さて、今回は、わたしの今世の人生についてのお話を。
わたしはよく「人のことばっかり考えている」と言われることがあります。
自分では、そんなつもりはないのですが、周りから見たら、そんな風に見えているのだろうなぁと、驚きます。
確かに、19歳の頃から、特別コンサルをしてきて、四六時中関わっていきます。夜中でも、早朝でも、シャワーを浴びている時でも、連絡がくれば対応してきました。
それが大変だと思ったこともなく、わたしの人生において日常でしかないのです。
では、わたしは、自分の人生をすべて誰かのために生きてきたのでしょうか。
決してそんなことはありません。
13歳で親元を離れ、(スカウトされ)自分の意思でスポーツの世界に入りましたが、わたしは田舎の一人っ子で、一人娘のわたしを、まるで13歳で嫁に出すような気持ちで、両親はわたしをスポーツの世界に入れたのだと思います。
田舎では、核家族は少なく、わたしの家も、大正生まれの父方の祖父母が同居していました。唯一、一緒に暮らしていた孫が、13歳で家を離れるなんて、想像もしていなかったと思います。その苛立ちを、最初は両親にぶつけていたとも聞きました。
わが子に会いたくても、当たり前には会えない。
わたしは、そんな寂しい思いを家族にさせてでも、スポーツの世界に入ったのです。
なぜか?
自分のためです。
スポーツの世界でやり遂げるという目標があり、
その目標をツールにして、精神的に自立をするという目的があったのです。
その目的どおり、わたしの人格形成の土台は、10代のその期間にあったと今でも思います。
【自分のため】=【自己実現のため】ということです。
ですが、そのスポーツの世界にいたときも、人との関わりの中で、少なからずメンタルケアをやっていたのだろうなと思います。
その後、大学進学をして、当たり前に大学生としての日常の中に、特別コンサルが始まりました。
授業・部活・バイト・遊び・恋愛。。。と、並んで、特別コンサルの日常です。
それは、社会人になって、小学校の先生になっても日常としてありました。
結婚して、主婦となり、母となり、それでも、当たり前に特別コンサルはありました。
人より多く、人のことを考えているのかもしれません。
ですが、同時に、自分のこと(自己実現)も考えているのです。
スピリチュアルの人生もわたしの人生。
同時に、現実世界の人生もわたしの人生なのです。
[麻りあシリーズ]や、[龍球シリーズ]といった、スピリチュアル雑貨を作っているのも、わたしであり、[dancing dragon]といった、ファッション雑貨を作っているのも、わたしなのです。
どちらに偏っても、うまくは行かないこともわかっているので、わたしは2つの人生を同時進行しているのです。