LINEのやり取りから。(いくえ)


こんにちは。いくえです。

 

 

先日、クライアントさんとのLINEのやりとりの中で、

「このLINEの内容を、ぜひブログに書いてください!私だけに話してくれるだけではもったいないです!」

と仰ってくださいました。

 

どんな内容だったかというと、わたしがなぜ岐阜と縁があったのか?ということから始まります。

 

わたしは、高校在学時から進学を希望していました。教育学部に進学したいと思っていたのですが、自分の条件と合致したのが岐阜の大学でした。きっかけは、それくらいのことです。

13歳から親元を離れ、遠征で国内をあちこち移動していたので、県外に出ることもなんの抵抗もありませんでした。

 

ですが、偶然は必然です。その土地が必然だったのか、そこで出会う方々がわたしにとって必然だったのか。

大学2年になった4月に、初めて特別コンサルをした後輩の女性に出会っています。ということは、彼女に会うためだったかもしれません。彼女の叫び声も、わたしにしか聞こえていませんでしたから。

 

初対面の時に、

「この子は、23くらいで自殺するんだろうな。。。」

と思いました。

(のちに、本人に尋ねたら、絶句した後、ゆっくりと頷き、大泣きしていました。)

 

母親の呪縛に絡んでしまっていた彼女の人生は、世の中のことなど何も知らないのに人生を諦めてしまっていました。

 

自殺するのは勝手ですが、何にも知らないくせに、なに、諦めてんの?という思いの方が、わたしの中では強かったです。(今もそうですが。)

 

 

わたしは、その人を『死なせないように』なんて思っていません。ただ、『は?何にも知らないのに知ったような生き方をすんなよ!』と思って、特別コンサルしています。

 

 

あ、それから今、岐阜出張の拠点にしているのは、大学時代からヘアスタイルの担当をしてくれていた女性が、各務原市でオーナーをしているヘアサロンです。

大学卒業してから、10年ほどは、大分県内でヘアサロンをさまよいましたが、また彼女の元に戻りました。彼女のヘアスタイルのセンスが、わたしは大好きです。

(岐阜県各務原市にある、ヘアサロンfate というお店です!ぜひ、一度、お越しください!そして、のちに、大分で出張ヘアサロンを実現して、彼女の技術を知ってほしいのです!)

 

彼女の場合は、その昔(前世)、わたしの髪結師だったのかぁ。。。とも思っています。

 

 

 

次に、『母親との確執』の話になりました。

前述の後輩の女性も、母親の呪縛に苦しんでいたという話から、やり取りをしていたクライアントさんも、母親との関係性についてずっと抱えているものがあるという内容に、移りました。

クライアントさんは、最近では、「この世に生を受けて、一番色濃く影響を受ける親。親とは。。。母親とは。。。」と考えることが多いそうです。

 

 

特別コンサルにしろ、通常のコンサルにしろ、親と何らかの問題を抱えているクライアントさんは、かなりの割合を占めます。

 

わたしからしたら、親というものは、この世の配役でしかないので、正解も不正解もありません。

ただ、人間として、心がそれだけ育っているか?というところは、99%を占めると思います。

 

 

わたしにも両親がいて、健在です。わたしは親との確執はありません。ですが、母親からの電話は5回に1回程度しか、取りません。

別に嫌いだとか、そんなことではなく、距離感だと思うのです。親が思う距離感と、わたしの思う距離感は、きっと違うのだと思います。ですから、母親は、わたしが電話を取らないかもしれないけれど、彼女の距離感で、わたしに電話をかけてくるのだと思います。そして、数回に1度、その距離感がわたしと合致しているのだと思います。

もちろん、母親はLINEも使えますし、連絡の手段はいくつかもっていて、急ぎの時や、緊急の時は、わたしにもわかるようになっています。父も母も70歳を超えてもなお、自分のことに忙しくしていますから、経済的にも精神的にも自立していますしね。

(もちろん、わたしにも直感がありますから。)

 

それから、わたしは、13歳から他人に育ててもらいました。だからこそ、今、親と確執もなく過ごせているのかもしれません。

 

わたしは『親だから』立派に子育てができるなんてことはないと思っています。自分の環境をつくる大人が、どれだけ心が育っているかの差だと思うのです。

 

 

わたしの親も、一人娘を13歳で嫁に出したような心境でしたでしょうから、親もまた、そこから心を育てていったのかもしれません。

 

 

特別コンサルを受けた方のほとんどは、自分も子育てをしています。大学時代の後輩の女性は、結婚した後に、わたしにこう言いました。

 

「わたしは子どもは欲しくない。だって、またわたしのような子が育ってしまう。わたしの二の舞になるのが怖い。」

 

と。

当然の思いだと思いました。そのとき、初対面から実に10年が過ぎようとしていましたが、彼女はまだまだ目の前の壁を乗り越えてしまえずにいました。そりゃそうですよね。3歳から18歳までの15年間、絡み続けた呪縛なのですから。

 

LINEでやり取りしていたクライアントさんも、

「親になることが怖かったのだと思います。」

と仰いました。本当の本心だと思います。いや、本心です。そして、同じような思いを抱えている人は、たくさんいるのだと思います。

 

 

わたしは、彼女たちが親に対して抱えている思いは、もちろん理解できますし、寄り添うこともできます。

ただ。わたしはそれでは終わりません。

 

先ほど述べたように、親はこの世の配役です。

(ちなみに、子どもは、母親を選んで生まれていますので、ちょっと思いがちがうのですよね。)

生まれてきて、しばらくの間は、親と子の関係で良いのですが、子どもがある程度の年齢やタイミングで、親のことを『1人の人間、1人の女性』として見ることが必要になってくるのです。

それはつまり、子どもの立場である側も、自分の心を育てていかなくてはならないということなのです。

 

自分を育てるのは、親やまわりの大人だけではありません。自分自身こそが、自分の心を育てるのです。

 

自分の人生は、自分が操縦席に座る。そのためにも、自分のことを受け入れ、理解し、さらに自分の心を自分で磨いていくのです。

 

 

ここの部分が、本当にしんどい作業なのです。『傷口に粗塩を擦り込む』というのは、こういうところに、顕著に表れます。

 

 

後輩の彼女も、その作業に取り組みました。

「自分の人生から逃げて、なんの意味があるの?」

と、だいぶわたしに、粗塩を擦り込まれたはずです。

 

 

結局、親がどうこうの前に、自分自身の心がどれだけ育っているか?

 

ということなのです。

 

自分が子育てをしながら、自分に絡んだ呪縛を解いていく。。。子育ても、自分の人生ではツールのひとつなのですから。

 

やってみないとわからないことなんて、山ほどありますからね。

 

 

 

ただ、わたしは、複雑に絡んだ糸の中でもがいて、わたしに「助けて!」と叫び、わたしにその叫び声が聞こえ、わたしを掴んだ人に、

 

最初から、「1人でできるだろ?」ということは、しません。

 

糸を解いていくことも、目の前の壁を乗り越えるのも、もちろん本人です。だけど、わたしも、必ずそばにいるのです。

 

 

 

そんなこんなを、やり取りしていました。また、いろんなお話を、みなさんにもシェアしていきますね。