小説よりも奇なり。『試験とニッチ』


こんにちは。かつあきです。

 

いつもよりも早い更新です。理由は、すぐにでも書いておきたいことがあったからです。

 

1つ目は、

先日のことです。いくえさんを通じて、いくえさんと一緒に、私やサロンのスタッフが、ある方のセレモニーのお手伝いに参加したときのことです。

それは、いくえさんのお知り合いの方で、もちろん私は紹介を機に交流を始めたのですが、そのセレモニーには、たくさんの方がご出席されていました。その中には、過去の私を知っている方が数人いらっしゃる情報が、いくえさんを通じて入ってきました。

その時、私はそのセレモニーのお手伝いに参加するか、正直悩みました。私は過去を手放して今があります。ですが、過去を知っている人から、過去のまま、私に気づき、声をかけられれば、まだまだ土台の浅い私は、過去に戻り話をするしかなくなりそうで、怖かったのです。

いくえさんは、私に、

「良い試験だと思ってる。」

と言いました。

「わたしの前でいくらわたしに合わせたことを言ってたって、相手が変われば、あなたの言葉が変わるなら、あなたの程度はその程度。あなたが実際、どの程度かがわかるわ。」

と。

 

いくえさんの言っていることはわかります。でも、わたしは自信がなかったのです。

 

悩んだ末に、私はセレモニーのお手伝いに参加しました。そして、情報通りにその人たちも来ていました。私のことには気づくことなく、その場は過ぎました。その瞬間に私は緊張の糸が切れてしまったのです。

そして、目の前にいた、別の私の過去を知っている方に、自分から声をかけ、私を思い出してもらうという行動をとったのです。それも、いくえさんや、サロンのスタッフの前で。

 

即座に、いくえさんの表情が変わり、その場で、

「どうして、自分から挨拶に行ったの?」

と強い口調で指摘されました。

 

私は、自分の行動にハッとしましたが、その場で反省することができず、いくえさんに、

「あの人は、私の過去のクライアントだから!」

と言い訳したのです。もちろんそんなことは、火に油を注ぐだけです。

 

いくえさんは、一切私の言い訳を聞き入れませんでした。

私はパニックになって、さらに火に油を注ぎます。

サロンのスタッフがそれを見て、冷静に分析をしてくれます。どう考えても、私の行動がおかしかったのです。

 

そもそも、この「試験」は、『声をかけられたら』という場面を想定していました。最初から「自分から挨拶する」ということは論外だったのです。

 

「いい?今日は何しに来てるの?今日この時間は、肩書は「整体師」じゃない!お手伝いのスタッフよ?何が挨拶?過去のクライアントだから、わざわざ自分から声かけた?じゃあ、声をかけなかった人に対してはなぜ?人によって挨拶するか否かを選んでる時点で、社会人としてどうなの?社会人としても選択は間違っているし、自分の今の立場も理解していない。そんな人がうちのスタッフの中にいるなんて邪魔なんだけど。みんな今日は自分の肩書を書き換えてここに参加してお手伝いしてる。仮に、あなたの過去のクライアントだからって、あなたどんな挨拶したの?まるで今でも自分1人でやってますって感じだったわ。まだ『名前を背負う』ことを理解していないんじゃない?整体師として挨拶したのなら、きちんと挨拶してほしい。わたしも、うちのスタッフも目の前にいたのよ?」

 

ここまで言われなければ、なんにも気づきませんでした。(この1000倍の勢いでした。)

私は、私がほっとした自分の気持ちだけで、行動してしまったのです。

 

いくえさんは言います。

「500日前のあなたなら、わたしはここまで激昂しない。だって、それがあなたのそのときのレベルだったから。『自分がどう思われるか』『嫌われたくない』そればかり考えてたからね。でも、この500日で、少なからず価値観は広がったはずよ?広がった価値観から、随分行動も言動も、あなたの『選択・判断』は変わってきたはず。レベルは確実に上がってきた。なのに、この有様は、自らレベルを落としたわ。なぜ?レベルを落としたところで何の意味があるの?あなたはどうなりたいの?一瞬のその隙で、今まで築き上げたものが、奈落の底よ。」

 

その通りです。今までも、訓練してきたことです。なのに、自分の気の緩みから、少なからずいくえさんを裏切ったようなことなのです。

今日の目的。。。

自分の立場。。。

自分の責任とは、ずっと背負い続けるものなのです。

 

この文章では、時間はだいぶ端折って書いていますが、実際は、自分が理解できるまで、それなりの時間を要しています。その間、スタッフの前や仲間の前でも、いくえさんにかなり悪態をついています。それでも、500日前に比べると、だいぶ時間は短くなっています。

これは、自分の発達障害の特性が出ているのだと、いつもいくえさんが客観的に分析してくれます。この分析を、いくえさんはスタッフにも、いつもわかりやすく共有してくれます。なので、スタッフも客観的な立場で見ながら、考えてくれるのです。

スタッフ以外の人でも、いくえさんから私のことは伝わっていて、寛容に受け入れてくれます。

本当に、ものすごく恵まれた環境だと思っています。

 

ただ、いくえさんは私に釘を刺します。

「確かに、わたしも周りも、あなたの特性は理解しているし、受け入れてる。でも、だからと言って、その環境に甘えないこと。わたしは、そんな狭い世界だけであなたに勝負させたいわけじゃない。理解できない人も、受け入れられない人もいる、広い世界で勝負してる。あなたの特性は特性として。同時に、この世の現実は現実として、あなたも理解して受け入れる努力が必要だから。今のあなたは、それができつつあると、わたしは思ってる。」

と。

 

『今の自分に、今の環境に、満足するな』

 

と言われているのです。

頭では理解しているつもりでも、まだまだ、理想どおりにはいきませんが、訓練し当たり前に努力する以外にないのだと思います。

 

 

 

2つ目は、

スタッフの言葉です。サロンのスタッフは私のクライアントでもあります。そのスタッフは施術スタッフではないので、普段はあまり会うことがないのですが、私の施術を受けに来てくれた時は、毎回話が弾んで長時間過ごしています。

 

そのスタッフが、会話の中で、

「前の施術から、一か月経ったのだけど、やっぱり元に戻ってしまった気がする。」

と言ったのです。

 

もちろん、カラダは毎日歪みます。ですが、それを聞いた私は、率直にこう言ったのです。

 

「それは、施術云々の前に、いくえさんの話を聞きたいと思ってるんじゃないかな?

施術を受けながら、いくえさんの話を聞いて心まで整えて帰るわけでしょ?でも日々の生活から、いろんな迷いや悩みはいつも現れるよね。1か月経って、その間の答え合わせとか、整理したくなるんだと思う。Mさんのカラダが、いくえさんの言葉を欲してるんじゃないかな?これね、ただ整体だけだったら、きっと1週間で戻ってるから。」

と。

 

Mさんは、「あー!!」と納得していました。

 

これは、謙遜でもなんでもなく、本当に私が感じていることなのです。

 

 

過去に1人でやっていた頃も、もちろん施術には自信がありました。その当時の患者さんは、ただただ施術を目当てに来ていたのだと思います。私のしょうもない話をテキトーに聞き流しながら、安価ということもあって、また1週間後に施術に来る。そして、またしょうもない私の話にテキトーに付き合いながら、施術を受ける。その繰り返しです。

 

それが、私の仕事だと疑いもなく思っていました。

その程度で、わたしは自信満々だったのです。

 

ですが、事実はちゃんと思い知らされます。

のちに、いくえさんに出会い、施術料を今の単価に引き上げました。

その時に、それまでの患者さんの中で私の施術を信用して通ってくださる方は、2割に満たなかったと思います。

中には、料金を引き上げたことに異論まで言ってくる人もいました。

 

それと同時に、新たに通ってくださる方が存在したのです。

今でもそうです。わたしの施術を信じ、この単価でもお越しくださる方は現にいらっしゃいます。

そして、今は施術と一緒にいくえさんとお話もできます。いくえさんの話に、みなさん聞き入ります。そこから、メンタルコンサルティングのメニューを受けた方もいらっしゃるほどです。

 

カラダを整えるのは私に施すことができますが、心を整えるのは他人がやってくれるのではなく、得た材料から自ら理解し、納得する(腑に落とす)ことができて、心が整ったと言えるのだと思います。

私に、ただ愚痴をバラまいたとしても、その人の心が整うことはないのです。

 

 

 

いくえさんもまた、整体メニューの在り方が、ニッチなものへと変化していることに敏感に感じていました。その変化が「本当にいいことなのか?」と、本当に求められているものなのか?と考えているようでした。

 

ある時、そのことをダイレクトに尋ねられました。

 

私は即答で「求められている」と答えました。

なぜなら自分自身が求めている1人だからです。ニッチだというよりも、こんなことは簡単にはできないだけじゃないか?とも思うのです。

 

イクエシキプロダクションの整体メニューは、カラダも心も整えることができる!と、自信を持って言えますし、すでにやっているのです。

 

 

この2つのことは、今の私にとても大事なことなのです。