こんにちは。
いくえです。
レジンでアクセサリー作りのイベントを小さく小さくやり始めたんだけど、そんな時でも、わたしは漫談していて、レジンと全く関係ない話で、大人爆笑っていう、いくえです。(なんのこっちゃ笑)
前回の『クラウドファンディング。』で、目に見えないもので、誰かの心を動かすことの難しさを書いたのだけど、もちろん『ビフォー』『アフター』があれば、見えやすいわよね。
ビジネスコンサルで、売り上げ高のビフォー・アフターなんかは、とてもわかりやすい。
組織の中での、メンタルコンサルも、例えば、社員の意識改革という意味でのビフォー・アフターは、目に見えやすいのかもしれない。立ち振る舞いや、表情が変わるものね。周りも、何かを感じるし、それが業績にも関係するしね。
わたしがやってることは、もっともっと、人間として手前?のところ。
売り上げのためとか、会社のためとか、そんなんじゃなく、『自分自身のため』。
やらなきゃいけないわけじゃない。本気で変わりたい人だけの特別な時間。
だから、見えにくいし、見えない。
ていうか、
やる奴はやるし、やらない奴はやらない。
これって、その人のガチレベルだから。
やらない奴に、やれと言っても、やれないの。どうやったらできるか?なんて考えない。どうやったら、やらずに済むかって考えてる。
そういう人にとっては、やることの方が不幸なのよ。やらないで良い世界が、幸せなの。
やる奴は、アドバイスをもらったら、すぐさまアドバイス通りにやってみる。そして、このアドバイスに加えて、これもできるんじゃないか?こうやったらもっと効率的なんじゃないか?って、自分でもっともっとクリエイティブに考えていく。
あと、もう一つは、アドバイスをもらったら、言われた通りにやって、満足してるパターンね。アドバイスの意図なんて考えずに、「やれと言われたからやってる」ってだけ。なぜなら、「怒られたくない。」っていう、本来の課題とは全く別のところで必死になってるパターン。
これも、わたしからしたら、やらない奴と変わらない。時間の無駄。
結局、「今、この時間は、なんのためにあるのか?」という課題が、常に頭の中に置かれているか?ってこと。
自分のための課題なんだと、自分と向き合うのか。
自分のためなんだろうけど、キツい、辛い、サボりたい、どうやったらごまかせるか?って、人の目を盗むのか。
どっちを選ぶのかも、すべて自分自身。
わたしは、そのすべてを視てるだけ。(ちゃんと答え合わせできるの。必要な情報は全部入ってくるわ。)
サボりたい奴に、サボるなっていうことが時間の無駄なの。
部活でもなければ、チーム戦でもない。
その人の人生だから、わたしには関係ない。
わたしのメンタルコンサルティングは、「自分はどう生きるのか?」というのがテーマ。
この課題に、終わりなんてない。
何よりも、わたし自身も、このテーマだから。終わりなんてないわ。
自分の肉体は1つ。だからこそ優先順位をその都度考えて、決定していく。
人生は、常に選択していくものなの。常に考えていくものなの。
わたしのメンタルコンサルは、その人のレベルに合わせたもの。
本人が「こうなりたい!」と望むレベルに合わせて、その最低限のレベルで組み立てていく。その先のことも視えるから。
でも、中には、わたしに嘘をついてまで、やったふりをする人もいる。(なんのために?笑)
わたしにはちゃんと答え合わせができるようになってる。ちゃんと必要な情報は入ってくる。
それでも、誤魔化そうとする人はいるの。
わたしは信じた分、悔しいし、信じた分、悲しい。
その人のことを、信じることができないと、こんなことできないよ。当たり前のこと。
その先が視えるからこそ、期待も込めてる。
でもね、できないものは、できないのよ。「やります!」と言ったって、やらないんだから。できてないんだから。
そして、わたしからの信用も無くなったわけよね。
わたしのメンタルコンサルを受ける資格もない。
怒ってる姿を見て、「怒ってる」としか捉えられない。だから自分が「怒らないように」必死になる。
怒ってる姿を見て、「悲しんでる」「悔しがってる」「傷ついてる」と、いろんな想像ができる人だけが、『その先』に行ける。
結局、目の前に見える景色が、自分のレベルだから。
わたしのメンタルコンサルティングなんて、なんのためにやってるのか、わからなくなりそうだけど、でも、わたしの使命だからね。
また、次の縁に精進するのみ。
ビフォー・アフターは、本人にしかわからない。
周りには、わかりにくい。
そして、ゴールもない。
自分のために、人知れず取り組み、「どう生きるか?」を考える。
それがわたしの、メンタルコンサルティングなのよ。