公家。


スタッフが、外に修行に行くようになってから、1週間が過ぎた頃、久しぶりに4人がサロンに集まった。


各々、修行の話をしてくれる中で、

「自分が、公家だと思うことが本当に多くて!笑」

という話になった。


この場合の公家とは、目の前の課題に対して、あたかも公家のような態度や表情をしている状態のことを言う。

「なに、ぼーっとしてんの?」

と言うと角が立つが、「公家」という表現方法を使うと、そこまで角は立たない。(個人の見解)

もちろん、これにも、相当の信頼関係が前提の話。



「脱・公家!」と、意識して行動しているとのこと。


若い頃から、広く社会と関わらずに来た分、経験値も低い。そうなると、周りの状況に振り回され、自分の課題を見失う。


お金の不安も同じで、「お金がないと不安になる」のは、お金を生み出す知識や経験を持ち合わせてないことが原因。

お金というのは結果であり、結果を出すには、その過程が必要だ。しかし、その過程はスルーして平気で結果ばかりを気にして、「良い結果がでない!」と不安になる。


人間関係も同じ。

信頼関係を築くにも、その過程が必要であり、「良い結果」が出たとしても、その結果を続けるには、そこにも過程が必要なのだ。



うちで土台づくりをしたスタッフは、外での修行の中で、いちいち傷つかなくなった。

ダメ出しをされたり、指摘されたりすることに、いちいち心を動かされない。


なぜなら、わたしから指摘されること以上に、厳しいことを言われることはないからだ。


そして、過去の自分と比べて、着眼点が変わったことによって、1つのことに翻弄されることもなくなったということだ。


「できない。どうしよう。怒られる。」

と、

「できない。できるまで何度もチャレンジするしかない。」

では、着眼点(意識)が、全く違う。


こういう当たり前の理屈を、実行できる人間は、そう多くはないのも現実だ。


当たり前のことを当たり前にこなせていけるようになるまでは、自分と向き合おうとしていかないと、いつまでも、人のせいにして生きることになる。




わたしはわたしで、サロンで1人過ごすことが増え、いろいろと答え合わせをすることも多い。



わたしはすでに、次の目標を見据えている。