博多遊女街 編 ①・②


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は、もう読んでいただけただろうか。

わたしから直接、話を聞いている人はなんとなくイメージがつくと思うが、話の中に出てくる『茜』という女の子は、今世、わたしの門下生でもある整体師Kのことである。(以下、『茜』と表す。)

そして、②の話の中に出てくる『キーパーソン』は、わたしのサロンがある【石畳乃癒】の女性オーナーのKさんのことである。(以下、『Kさん』と表す。)

②の話で、突如として出てきた『空海』。弘法大師ともお大師さまとも言われ、たくさんの人々に親しまれている。

2022年には、Kさんの元に『空海』がチラホラと姿を見せ出すのだ。
(わたしがKさんと知り合ったのは2016年8月。元々、彼女にもスピリチュアル能力はあったが、まだ封印された状態だった。2019年の終わり頃から徐々に開花しだす。その頃には【石畳乃癒】のロビーに大きな白龍が寝ていたのがわたしには視えていたのだか、程なくしてKさんがわたしに「ここに白い龍がいるんだよね…」と、わたしに視えているものと全く同じものが、彼女にも視えていた。
2020年9月、わたしがサロン移す。それからKさんは、白龍を通じて様々な事を学ぶ日々が始まった。)

Kさんは、祖母がお寺の出身というのもあり、幼い頃から仏教とは縁があった。が、それだけではない仏教(お経)の記憶も残っていて、時々わたしは驚かされていた。

2020年から白龍が導き、いろんな学びを受けていく中、2022年の中頃にはだんだんと白龍の存在はなくなっていく。それとほぼ同時に出てくるようになったのが『空海』。

当時、Kさんにとっては空海は、遠い存在だと言っていたが、わたしは最初から「そういう神秘的な関係ではない」と思っていた。
(ま、わたしにとっては空海は空海。だから何?一緒にファミレスにも行けるくらいの存在。←こんなこと、その界隈の方々からしたらヒンシュクものだろうが、実際そうなのだから仕方ない。だからココでしか書けないのよ。)


Kさんの前に、ことごとく表れるようになった空海の様子は、今考えたらなんて健気なのだろうと思う。

そこから、Kさんは空海について勉強させられる日々が始まった。

わたしはわたしで、特に空海に興味もないので、気にもしていなかったのだが、
2022年、Kさんが京都に行った際、いろんな不思議体験があって、中でもたまたま立ち寄ったお寺の中に『浴室』とあったのでのぞいてみたら、現代の岩盤浴の原型と同じ状態の施設があったというから驚きだ。
そこには、有名な位の高い武将たちが来ては「入浴」し、カラダと心の傷を癒していたのだろう。
そんなこともあったので、
「いくちゃんたちも今度、京都に行ってみて!」
と言われ、数カ月後の秋の大阪出張の折に、茜と京都に行き東寺の五重塔を目指した。しかも偶然その日、東寺は、空海に関するイベントの日で賑わっていた。敷地内にはいろんなお堂がある中、わたしが唯一、足を止めたのが空海を祀るお堂。それも、
「執筆活動ができるように、空海に会ってこよう!」というくらいのノリだった。お堂に入ると、茜は正当にお参りをしていたが、わたしは空海の顔が見たくて必死に見ようとするのだが、どうも見せてくれない。「そんなことある?」と思うくらいの感じで、空海はわたしに顔を見せなかった。
この時は、東寺でも茜にまつわる話が事実となって出てきて、そこも同時進行されていた。

そして、2023年、再び茜と大阪出張に行った際、大阪出張でお世話になっているわたしの古くからの友人Y子に、わたしは突然、
「ねぇ、高野山に行ける?」
と言い出し、その日のうちに連れて行ってもらったのだ。
何か調べたい事があるわけでもなく、ただ「行く」という選択肢がそこにあった。
高野山の『奥の院』というところに連れて行ってもらった。いろんな人がいろんな思いであの場所に行くのだろうが、道中わたしは、
「何しに行ってるのだろう…?何があるのだろう?」
という思いが巡る。

勝手なイメージで、どんなに厳かな空気なのだろう?と思っていたが、正直、全く違った空気だった。それもまた、行ったからこそわかったこと。
そこに行ったからといって、空海に会えたか?というと答えは、会えなかった。しかし「現在の」高野山の様子はわかった。

そこでは、隠れキリシタンの中川家のお墓にバッタリ出会った。中川家は、約400年前に岡藩(大分県竹田市界隈)のお殿様だった。元は兵庫だったかな?クリスチャンだった中川氏は、キリシタン弾圧の際には、キリシタンの住人を一緒になって隠した「隠しキリシタン」の異名を持つ。(岡藩の地形も都合が良かったのだろう)
『2つのストーリー』では、岡藩の隠れキリシタンの話は載せてないが、原本にはそのことも書いてある。2018年に入り、当時わたしは1〜2か月間、岡藩の隠れキリシタンの勉強もさせられていたのだ。(なので中川氏を「中川さん」と呼んでいる。高野山の中川さんのお墓もちゃんとキリシタン仕様だった。)

そんなこんなで、空海に特に興味もないわたしも、要所要所で、空海についての『答え合わせ』をさせられてきた。

2023年の終わりには、いよいよ空海がKさんに近づいて来たのだ。
そのときには、わたしにはKさんと空海の関係に自信を、持っていた。
(ただ、それまでは400年前のことが主流だったのがらここで一気に1200年前の話にまでさかのぼったので、視えるものなのかなぁ?なんて思っていたが、ちゃんと視えていた。笑)

Kさんは、空海の付き人の1人。
伝記や文献には残っていない。そのため、誰も反論もできない。笑
だが、そうなのだ。
わたしには顔を見せない空海だが、Kさんはだんだんと空海の顔を思い出してきている。(絵や銅像などとは違う雰囲気。)

空海は、中国に行き密教を2年で習得してきたのち、帰国。そして、ひょんな理由で福岡に滞在することとなり、その時に空海は、『東長寺』というお寺を建立する。(今も実在する。)
それが、約1200年前の話。そのときに、Kさんたち2〜3人が空海と共にしているはずなのだ。
それから、約800年後の今から約400年前、縁あってKさんはそのお寺にいたのだろう。その時には、黒田藩の菩提寺となっていて、黒田の縁でわたしは、そこにかくまわれたのかもしれない。(文献上は、遊女街に追放されたことになっているが、その遊女街も含め、その土地を黒田藩が治めていたのだろう。)
そして、そのお寺のある場所で、わたしは茜と出会う。

それから約400年後、今世、Kさんは自ら岩盤浴専門店を建てる。建てた当時は、こんな話とは全く違う理由で建てたはずだが、17年後の今になって、こんな話と結びつくことになった。
京都で見た『浴室』もお寺の厳かな中にあり、そこで静かに汗を流しながら、整えるのではなく、カラダの傷も心の傷も癒していたのだろう。岩盤浴をツールに、人間の『自己治癒力』を高めていたのかもしれない。
石畳乃癒も、外観は決して目立たず静かに佇み、中に入ると非日常空間が広がる。それはまるで、神社仏閣のような厳かさをも感じる。

岩盤浴に入るにもいくつかの「決まり事」がある。
これも、神事仏事においても『祓い』『みそぎ』を受けるにはいくつかの決まり事があるのと同じ。

わたしが、石畳乃癒の岩盤浴を「本物の岩盤浴」と言って来たのは、こういうところにあったのかもしれない。

その石畳乃癒の施設をきっかけに、わたしが茜と再会したのも、もう言い逃れのできない事実なのだ。
(そして、今世、茜と出会った当時、茜はある宗派のお経を聞いていることが多かった。「変な奴」と思いながらも、実はわたしは、進学した高校・大学が、たまたまその宗派の仏教系だったので、茜よりもお経に詳しく、わたしの方が「変な奴」を超えていた。笑
それも、400年前に出会った菩提寺の「記憶」のツールなのかもしれない。)