再現性がない。


前回のブログ「Sちゃん」も、なかなか難しい内容だったかもしれない。もちろん、Sちゃんに対するエールも込めて、同時に、これを読んでいる方にも「気づき」を。

 

さて、過去のブログにも事あるごとに書いてきたのだが、わたしは、お金に関わらず何かを「生み出す」ことはできても、「金儲けができない」らしい。

 

何かを生み出すというのは、信頼だったり、新たな人生だったり、商品だったり、お金だったり・・しかし、生み出せても、どうも儲けることができないらしい。

 

わたし自身に問いただしても、「儲けたい」という概念が出てこないのだ。・・こんなのでビジネスと言えるのか・・。

 

過去のブログ「スピリチュアルを辞めようと思ったこと。」にも書いているのだが、わたしのやっていることが、誰かの役にたっているのか?という疑念まで膨れ上がったことがあった。

ビジネスの概念からみると〈儲けていない=役に立っていない〉と評価されているのではないか?と感じることもある。

 

しかし、そもそも、わたしのやっていることを『ビジネス』というカテゴリーに並べて良いのだろうか。・・わたしは、何をやっているのだろうか?何のカテゴリーなのだろうか。

 

ビジネスについていろいろと調べていると『再現性』という言葉にぶつかる。ビジネスをうまくやるには『再現性が必要』だというのだ。

・・・

一番、遠い。いや、イクエシキ.17に、わたしの『心のコンサル』に、再現性なんて1ミリもない。この時点で、人間界での「ビジネス」からは、かけ離れている。

 

以前、わたしは法人化を考えたことがあった。まだ、イクエシキプロダクションの時代だった。

その時、『茜』(門下生K)の友人の司法書士さんを訪ねた。わたしと出会う前の茜のことは知っていたが、わたしと出会ってからのことは、何も知らないままだったので、そこでも、わたしは壮絶な「特別コンサル」の出来事を時系列にドラマのように話した。

黙って聞いてくれていた司法書士さんは、わたしの話を聞き終わった後に、

「これ、ビジネスにできないかなぁ?」

とポツリ。

 

いやホント、再現性のあるものなら、どれだけ良いか。笑

再現性がないから、みんな悩んでいるのだ。当たり前に必要な部分なのに、誰も教えてくれない。

何より、わたしのコンサルの「スピード」こそ、再現性がないのだ。

 

結局、なんだかんだで法人化はまだできていない。いや、あの頃はまだ「そのとき」ではなかったのだ。

 

今年に入り、「再現性のないもの」でもいいじゃないか。と思えるようになった。

 

わたしが「ビジネス」というカテゴリーに執着していただけの話で、おそらく「ビジネス」というカテゴリーではないのだと思う。

門下生がやっている活動は、ビジネスなので、そことごっちゃになっていたし、それでわたし自身、どうしていいのかわからない状態が拭えなかったのだろうと思う。

じゃあ、何のカテゴリーか?と言われても、すぐには思いつかないのだが、「ビジネス」というカテゴリーからは、外す。

 

しかし、当然、運営費が必要になる。サロンの家賃が払えないので、石畳乃癒を出ようとしたことがあった。すると、石畳乃癒のオーナーのKさんは、

「いくちゃんは、ここにいてよ。苦しいのはみんな同じだから。」

と言ってくれたことで、わたしは今も、石畳乃癒に「居場所」があるのだ。

 

「博多遊女街編①・②」でも書いたように、400年前もわたしをかくまってくれた。そして、今世も同じように、わたしに居場所をくれている。

こんな奇跡があるだろうか。やはり、普通ではない。

 

以前、施術料を「お志」にした。すごく不評で、今はやめている。

これはわたし直接対峙できる人がいるからこそのことで、直接対峙することも簡単ではないのに、ましてや「施術料はお志で」というのは、わたしの思いとはかけ離れ、かなり苦慮させてしまっていたようだ。

 

そこで、素直にわかりやすく、ご寄付を受け付けることにした。クラウドファンディングではなく、まず、わたしの活動を知っている方に向けてのこと。わたしの活動に賛同し納得してくれる方へ。

 

☆ご寄付は、コチラ。

 

金儲けこそ向いていないが、「生み出す」ことにはわりと長けているのではないか?と思っている。

何より、わたしにしかできない超特別な、『心のコンサルティング』を届け続けたい。

 

心のコンサルティングを含む、わたしの経験を、いろいろな場所で講演することが、今のわたしの目指すところだ。