人間としての『器』。


前回のブログ『結界。』で、茜との口論の話を書いた。

 

わたしは、この口論でも、決して2人だけの世界にしない。

信頼のおける人物を巻き込んで、客観的目線というものを必ず設ける。

 

人間は、狭い世界の中では『お山の大将』になりがちだ。自分と相手との2人の世界だと、優劣で話が進んでしまう傾向にある。

『相手よりも、自分の方が優れている。』と思いたいのと、それを証明したいのとで、理想ばかりを羅列しだす。

2人だけの世界なら、慣れや甘えもあり、それがまかり通ると思い込んでしまう。

お互いにその程度の器だから、何も解決しないし、おんなじことを繰り返す。

事が大きくなってから他人を巻き込んでも遅いのは、『事が大きくなっている』と自覚するにも鈍感だったり、この期に及んでも自分の世間体が優先だったり。

 

 

もちろん、他人を巻き込むには、その責任も生じる。

巻き込むだけで丸投げするのも違うし、巻き込んでおきながら客観的意見は聞かないのも違う。

「こういう経緯があって、今こうなっていて、だからこういうところで助けてほしい。」

という説明が当然ながら必要で、他人との連携もきちんと取ろうと努力することが求められる。

この文章を読んで、驚いてるレベルでは、そりゃ人間関係を築くにもいろんな課題が生じているだろう。

 

 

人間は、時に自分勝手だ。

ああなりたい。こうなりたい。と、自分にとってプラスにことを得たいと望む。

しかし、そこには同時に自分にとってマイナスになることも一緒についてくることを完全に無視している。

 

例えば、お金持ちになりたい。という望み。

それ自体は前向きなことであり、素晴らしいことでもある。

ただ、お金と一緒についてくるモノもある。

今の自分が、お金持ちを見てどういう感情なのか?それがそのまま、自分に跳ね返ってくることになる。その時、自分はどう乗り切るのか。

またお金を狙った犯罪も実際に起こっている。それに対して物理的な対策だけでなく、自分自身がどう向き合うのか。

まだまだ他にもたくさんある。

 

有名になりたい。という望み。

その素晴らしい望みが叶う時は、他のことも一緒についてくる。

今の自分が、有名人をどういう気持ちで見ているか?その有名人がどうなったとしても純粋に応援できるだろうか?それが、そのまま自分にも跳ね返ってくる。その時、自分はどう乗り切るのか。

今の生活のまま、有名になるということは考えにくい。少なからず、今の生活のままというわけにはいかない可能性も出てくる。その時、自分はどう乗り切るのか。他にもたくさんのことが考えられる。

 

自分の環境が前に進めば、当然、自分の器も試されることになる。

もっといえば、自分の器が試される先に、結果が出ると言っても過言ではない。

 

 

他人への評価が、どれだけ容易いものかがわかるだろう。自分が他人に行っている評価など、所詮自分の首を絞める程度のものでしかない。

自分の器の大きさは、自分がどれだけ自分と向き合ってきたかということなのだ。