友だちの友だち。


先日、大阪の友だちY子からの連絡で、

「鳥取の友だちが亡くなったら、お通夜に参列してくる。」

と連絡があった。

「なんか、いくちゃんに伝えておかないといけない気がして。龍球ネックレスをつけて行ってきます。」

と。

わたしは、
「友だちがくれた日帰り旅行だと思って、周りの景色を見ながら行っておいでね!」
と、返信をした。

Y子の友だちTさん。
もちろん、わたしは何の面識もない。
Y子にとっては、20年以上の付き合いらしい。
20代のうちからカラダが不自由になるなど、いろんな経験をしてきたらしい。

先月だったか、Y子から、その友だちのお見舞いに行くと、連絡があった。
もう、長くないと聞いたY子は、2度、彼女のもとを訪れている。

2度目のときに、Tさんから、
「家族に感謝よ。」
と一言、言われたらしい。
その時、ちょうどY子は自分の親に対する長年のしがらみと闘っていた。

わたしはわたしで、Y子が1度目のTさんのお見舞いに行くタイミングで、連絡をしていた。
わたしから伝えたかったのは、偶然にもY子が自分の親に対する向き合い方のことだった。
唐突ながら、伝えないといけないと思って、連絡をした。

そして、1度目のお見舞いから、2度目のお見舞いの間に、Y子はいろいろと考え、勇気と覚悟を持って決断しなければいけなかったはずだ。

その決断を、自分の親に伝えるタイミングが、2度目のお見舞いに向かう途中の時間だった。

そして、Tさんに会ったら、
「家族に感謝よ。」
と言われ、Y子は号泣したという。

そしてその帰り道に、それまで、自分の感情が大半を占めていたことに気づき、感情的に何かをやったところで、何も解決しないことを痛感した。と話していた。
なので、再度、自分の親に連絡をして、感情論ではなく、「何がいちばん最善か?」を理論的にもう一度、伝え直した。と。


自分の親との関係が、良好か否かなど、そんなことはどうでもいい。
お互いに、お互いの人生を「自分で歩む」ことが、土台であり、その先に「転ばぬ先の杖」ではなく、

「転んだあとに、手を差し伸べてもらえたら、御の字。」

なのだ。
転んだことも、自分の経験。どういう転び方をしたのか。それを説明できるなら、同じ転び方はしない。
だけど、ほとんどの人が、転ばないようにすることに重きを置きすぎて、いざ転んだときは、何がなんだかわからない状態。だから、何度も同じ転び方をして平気なのだ。
誰も転びたくない。だけど、転ぶ可能性は誰もが持っている。ならば、転ばないようにするのではなく、転び方に気をつけることの方が、よっぽど大事。


これは、子育ても同じ。
転ばないようにするんじゃない。
 「転ぶときは、手を出して顔を守るんだよ。」
と伝えておく。
転んで泣いた時は、
「痛かったね。でも、ちゃんと手をついて転んだね。すごいじゃん!転び方が上手い!」
と、伝える。
そうすれば、転んだことが100%失敗だという認識にはならない。
バレーやサッカーや野球など、転べなければ話にならない競技だってある。
人生は、決して転んだことが悪いのではない。
転ぶことで得られるものがあるのだ。



さて、Tさんのお通夜から帰ってきたY子から、連絡が来た。

式場で、Tさんが隣に座っていたのがわかったらしい。
Y子は直感的に、
「あんた、もう飽きてるやろ?笑 もしそうだったら、あのろうそくを、揺らしてみて?」
と、心の中で話しかけた。
すると、そのろうそくだけが、ゆらゆらと揺れたらしい。それを見てY子が、ニヤニヤしていると、式場のスタッフが不思議そうな顔でY子を見ていることに気づき、Y子はさらに心の中で笑ってしまったと言う。


帰り道は、日が落ちていた。
周りが暗いので、景色はわからなかったが、来た道と違うルートをナビが案内していることだけは、わかったらしい。そうこうしていると、急にナビが切れ、スピーカーから何かがゴニョゴニョと聞こえたのだが、それがなんなのかまでは、わからなかったらしい。

そのタイミングで、Y子の娘のSちゃんから電話がきて、Tさんがこんな感じでいたはずだよ!と教えてくれたらしい。それが見事に、Y子が感じたことと合致して、Y子は、Tさんが納得していることを確信して、清々しい気持ちで帰った。と、話してくれた。


わたしは、その話を聞いて、なんとなくY子に、
「帰ってきたルートの地図を見せてもらえる?」
と、お願いした。
Y子はGoogleマップを撮影し、わたしに送ってくれた。

その地図の中に、『サムハラ神社』という文字が、デカデカと主張してきた。

Y子が通った道からは、地図上では遠い位置にあるのだが、その名前がやけにわたしに主張する。

サムハラ神社は大阪にあるらしいが、「奥の宮」が、Y子が通った岡山県内にあって、そこの地図をY子はわたしに送ってきていた。

わたし「サムハラ神社って行ったことある?」

Y子「いや、ないよ。」

わたしは、サムハラ神社の奥の宮のことが書かれてある記事を探した。
サムハラ神社の歴史の概要が書かれている記事の中で、

『サムハラとは、古代朝鮮語で「生きなさい」という意味でもあると言われている。』

という一文が、目に入って来た。

はは〜ん。。

わたしは、そのことをY子に伝えた。
すぐにY子も、理解した。

これは、Tさんからのサプライズメッセージ。
これがあるから、Y子は、わざわざわたしに、
「Tさんのお通夜に行くことを、いくちゃんに伝えておかないといけない気がして。」
と、わたしに連絡してきたのか。と。
(連絡させられたというか。笑)

見事な伏線回収だった。

わたしはTさんとは面識がないが、なんというか、頑固というか、芯が強いというか。
そういう印象を受けているのだが、Y子にそれを伝えると、

「式場でも、他の友だちとその話をしたんよ。彼女は、自分の思いを曲げなかったよね!って。」


そんなTさんが、Y子に「生きなさい。」と最後まで諦めずに伝えたことは、これからのY子の人生の礎になるだろう。