いちばん恐ろしいもの。


人間とは、何事にも良し悪しの判断をつけたがる。

この、良し悪しとは、
「自分にとって、都合が良いか、悪いか。」
というもので、良し悪しの基準は、すべて、自分の中の価値観で決まる。 

良しとしていること。悪しとしていること。
それをみれば、その人がどういう人間かすらわかる。


添加物や電磁波、歴史や医療など、たくさんの情報が入ってくる。
そして、それぞれに「良い」「悪い」と目を吊り上げ、決着をつけようとしている人間がたくさんいる。


文明が発達するということは、基本的には素晴らしいこと。
電化製品ができたことで、かまどでご飯を炊く生活から解放され、多くの人が時間の使い方の選択肢が増えたのだ。
食品の選択肢が増えたことで、心が満たされることも増えたのだ。
医療の選択肢が増えたことも、過去の歴史があったからこそ。

そして、今、こうやって情報を得ることができているのは、そういった「こと」からの産物であり、少なくとも、人間の心を満たしてきたことも間違いないのだ。

いくら、電磁波が怖いからといって、炊事に手間がかかることで、心に余裕がなくなるようでは、電磁波よりも悪影響を及ぼす。

添加物がカラダに悪いと言って、眉間に皺寄せて管理している方が、添加物よりもよっぽど悪影響なのだ。


良くないものという認識は、どこからの情報でそう判断しているのか?(良いものの認識も同じ)

今、自分が情報を得ることができているのも、文明の発達があってこそ。

自分は良くないと思っているものでも、どこかの誰かはそれに助けられているのだ。



カラダは食べたものでできている。が、

カラダは、食べものだけでできている。わけではない。

臓器、器官、筋肉、骨にいたるまで、その人の「意識」「思考」つまり、『価値観』が関わっている。


何度も言うが、
「これだけやってればいい!」
というのは、バカにフォーカスした売り文句。

研究論文に書いていても、それは割合から見た大まかな結果でしかなく、1人1人に寄り添った事例ではない。

そして、文明が発達すれば、研究結果も変わるものが多いのも事実。

研究結果や誰かが言ったことを鵜呑みにするのではなく、それを元に自分でも、仮説・実験・検証を行ってみることなのだ。
身近な人が、本当に幸せそうにしている瞬間は、どういうときなのだろうか?と、研究してみることだ。


そういうと、「身近な人が幸せそうにしていることが許せない!」という、それ以前の問題を抱えた人間が一定数、出てくる。



電磁波や添加物などよりも、
結局は、人間がいちばん恐ろしいのだ。