「因幡の白兎」と、茜。


『因幡の白兎』の話を知っているだろうか?

 

※因幡の白兎のあらすじ→コチラ(外部リンク)


昔話とした神話なのだが、これは人間の世界をよく表している。

 

2021年2月28日。

その日、わたしは初めて出雲大社に参拝に行った。

神社仏閣にまったく興味がないわたしが、2020年10月に「出雲大社に行ってみたいな」と思ったのだ。何の目的はなく、ただ行ってみたい。と。

 

2021年2月27日に大分を出発。車で向かったのだが、途中、石見銀山の前を通されるという「寄り道」をさせられることにもなるのだが、この意味は、後日、改めて書こうと思う。

 

出雲大社に行ったからといって、特段何かあるわけでもない。

参拝をして、おみくじを引いて。そこのおみくじは、番号が書かれているのだが、その番号が「1」だったこと。

家族5人で引いたのだが、娘が「9」だったこと。そしてあとの3人は全員「19」だったこと。

(なに、このアピール!?)

 

このとき、すでに何かは始まっていたのだろうと思う。

 

境内を歩いている中で、一つだけ気になったことがあった。それは、「因幡の白兎」も祀られて?いたことだ。

わたしは、その頃、約半年前から『動物神』の勉強をさせられていた。いやホント、日常の中に動物神の学習が始まるのだ。そのくらいわたしは、普段から日常的に不思議な日々を送っている。(本人は不思議とも思っていないが。)

その動物神が、なぜ出雲大社に?

と、その当時のわたしは、理解できずに、そしてやけに気になったまま、出雲大社をあとにした。

 

 

その約3週間後に、わたしの前に「茜」が現れた。その当時は、茜には『キツネ(仮)』が3000体以上憑いていて、わたしにとって超面倒くさい状態だった。わたしの、動物神の勉強は、茜に憑いている『キツネ(仮)』とどう向き合うか。『キツネ(仮)』に対する理解をしておく必要があったのだろう。

(もちろん、その後も、キツネの他に、ヘビやタヌキやいろいろと勉強してきた。)

 

先に、茜の名誉のために伝えておくが、茜の現在はそんな状態ではない。

そして、何も動物神が悪いわけでもない。良し悪しの話でもなく、どの世界も相手への理解なしには、好転も発展もしないということを意味する。

 

そんな中、2021年4月8日の朝、わたしは石畳乃癒のKさんにLINEをした。

「茜のことなんですが、やっぱり『因幡の白兎』と同じだと思うんですよ。動物でも神に仕えることができるんだということですよね。」と。

 

すると、Kさんから返信があり、

「おはよう。ウサギの夢を見た。」

と。

 

!!!そんなこと、ある!?笑

 

茜は、根っからのキツネではなく、ウサギなのだろうと。

そんな話をLINEでやりとりしたのだ。

 

『因幡の白兎』の話を、茜を通してわたしなりに解釈すると、

 

バカにされ続け、自分が認められない環境にいて、心を全く磨けずにいた茜(ウサギ)は、自分が生きていくために、見栄とハッタリ(キツネ)を纏った。

人を騙し、人から騙され、気づいたときには、自分が身ぐるみ剝がされている状態。

なんとか挽回しようとチカラを振り絞った時に、目の前に現れた人間すべてが、茜にとっては神に見えた。

この人についていけば逆転できる!この人の言うとおりにすれば逆転できる!と、ついて行ったが結果はもっと悪化する一方。

「もうどうなったって構うもんか!!」

と、半ば日常的な自暴自棄が続く中、茜の魂は『生まれ変わりたい!!』と叫び続ける。

その魂の叫びが、わたしの元に届き、わたしは、茜の心身の傷の治し方と、心の磨き方を伝えていった。

そして茜は、わたしのそばから離れずに、わたしに人間のことを教えてくれている。

 

といった感じなのだ。

 

あの時、出雲大社に行きたいと思って行ったのも、わたしにとっては行かなければならなかった。

(石見銀山の件も同時進行していたし。)

 

 

 

追記:

わたしのことは恐ろしいと思っている人でも、茜がいると安心するらしい。笑

共感する方がいたら、わたしのinstagramにDMをもらえるとありがたい。

(茜に会ってみたい方も、同様に。)