Nさんと、前世の記憶の話。


岐阜出張のお客様でNさんという女性がいる。

彼女は、いろんな思いを抱え、わたしの前に現れることも、ものすごい覚悟だった。

何度か、お会いする中で、なんとなく彼女の過去(前世)が点となって視えてくるようになった。
その点を伝えると、彼女の事実と必ず繋がる。

彼女は、今世は岐阜生まれ、岐阜育ちだが、過去は熊本に縁があるのでは?

という点を伝えると、その後、彼女がなんとなく気になっていたことが、その熊本に繋がることが多くあった。
それから、彼女の過去と、わたしの過去に繋がりがあるのでは?と思うほど、だんだんと近づいてくる。


『2つのストーリー』の中で、黒田長政の妾だったわたしは、黒田の何か秘密?を知る。そのことをよく思わなかった黒田は、わたしと音羽を、博多の遊女街に追放した。(しかしこれは、遊女街に追放したというよりも、その遊女街の近くにあった東長寺というお寺が、黒田藩の菩提寺だったので、そのお寺に流されたという方が、事実に近いのかもしれない。)


その、わたしが知った黒田の秘密?というものと、Nさんの過去が繋がるのだ。

Nさんと、熊本。
Nさんと、隠れキリシタン。
Nさんと、小西行長。その娘の「妙」。
小西行長のお墓は、岐阜に存在する。

小西行長は、戦国時代〜安土桃山に存在した武将。
Nさんは、小西行長の歴史を追う中で、わたしに、次のようなメールを送ってくれた。



小西行長を追っていると、石田三成と一生に、どうしても黒田長政が出てきます。

追っていくと公には黒田官兵衛は姫路市が出生地になります。

でも滋賀県長浜市のウィキペディアの有名人みたいな所を見ると『黒田官兵衛←諸説あり』と出てきます。


この話は官兵衛が滋賀県長浜出身だという設定でないと成立しないのですが…(私の勝手な解釈ですが。)


関ヶ原の合戦で、西軍にいた小早川秀秋を裏切るように誘導したのが、黒田長政のようです。

長政がその時、美濃国(現在の岐阜)を治めていた平岡と稲葉らが、石田三成を面白く思っていなくて徳川につくという話を知っていていた。

らしいのです。


他にも三成を良く思っていない大名らがいて、裏切ることを知っていたから、小早川を裏切るようそそのかした。

それを高尾さん(いくえさん)は、人づてに聞いたか、何かしら情報を知って、その事がバレてしまったのだと…(私の推測ですが。)


長政は幼少期に、官兵衛が秀吉から仲介役を頼まれた時に、人質にされます。

1年経っても官兵衛が戻らないので、殺すよう命じられた時に、官兵衛を信じていた相棒が

長政の首だと、同じ背格好と年頃の子のものを差し出します。

それを見た三成は、ウソを見破ります。しかし、そのウソを見逃し、

「これは長政のものだ。」

とウソを見逃したのです。

長政は、その命の恩人(三成)を裏切りました。


堺や洛中、京都を引きずり回された三成、小西行長ともう一人。

最後の刑が執行される前の三成の前に現れたのが長政で、その朽ち果てた姿を自分の羽織りで隠したそうです。


三成はその時、長政も自分をバカにしに来たと思っていたみたいですが、羽織りを掛けられた時には涙を流したとか…

ちなみに小西行長は山を逃げてる途中で見つかった時には『私を差し出して褒美をもらえ』と言ったとか。

自害しろと言われた時には『自分はキリシタンだから自害はできない』と言ったそうで。

ならば三成と一緒にという事で、引回しと京都の六条河原で斬首と晒し首にされたそうです…


この話しを知った時に怒りがこみ上げましたね。

「父も殺された…」

というなんとも言えない思いが湧いて来て、

そのあとに、小西行長の娘の「妙」という女性を知った時には負に落ちました。


小西家には家紋が2つあり、表の家紋より裏の家紋を見た時に( ゚д゚)ハッ!となりました。

裏家紋は花クルスです。もう捨ててしまって証拠をお見せできませんが、保育所を卒業する際に書いた文集に、何故か私は教会と教会に建つ十字架の絵を描きたい!と思って描いていました。


私といくえさんがその時、出会っていたならば長崎の教会か、長政の屋敷に居る時のような気がします。


歴史はレキシなので、嘘か本当か?なかなか難しいですがロマンがありますよね✨



Nさんと「小西妙」が、わたしの中で重なる。
妙と、わたしは、どこかで会っていたのかもしれない。

「2つのストーリー」でも、わたしはキリシタンの魂と関わった。それは、過去にも、キリシタンの人々と関わっていたからかもしれない。