先日、「何か憑いてると言われたので、お祓いをしてほしい。」というきっかけで、うちにお越しになった方がいた。
この展開は、なかなか珍しい。
わたしに「祓ってほしい」と言いたい人はたくさんいるが、みんな気易く言うことが怖いのか、遠慮する。そして、会話がはずんだ先で、「憑いてたら祓ってください。」と笑いながら内心本気で懇願してくるのが、よくある展開だ。
霊能者のお祓いというと、ろうそくと線香、薄暗い空間で、白装束のような正装の格好をし、祝詞(のりと)やお経などを発しながらのことを想像するのではないかと思う。(そういうテレビ番組の影響もあって。)
もちろん、きっとそれも正解だろうが、
本質は「やり方」ではなく「レベル」だと、わたしは思っている。
よく考えてみると、人間にだって、プラス人間、マイナスな人間は存在する。
どの人間が自分に寄ってくるかは、『自分の在り方』で、ほぼ決まっている。
側から見ても、意地悪な人間の周りには、意地悪な人間が集まっていると誰もが納得するのは、そういうこと。
神聖な神がつくのか、厄病神がつくのか、はたまた生き霊がつくのか、そんなのだって、その人の『在り方』なのだ。
昔、わたしの友だちから、「友だちの相談に乗って欲しい」とLINEが来た。
そのお友だちの顔写真を送ってほしいとお願いして、顔写真を見て、わたしは
「んー…。昔、学生時代とかに、人をいじめたり、意地悪なことしてきた?」
と伝えた。
わたしの友だちは、驚いて、その友だちに尋ねたら、重い口を開いて頷いたらしい。
わたしからしたら、「だよね」と言うしかないのだが、つまり、その方は「愛を知らない」のだ。
社会人となって、いじめることはしなくなっても、手っ取り早い上っ面なものを愛だと思い込み、求めてしまう。
それがわからないから、周りから疎外され、今度は自分がいじめられているような環境だと感じてしまっていた。
これを、「因果応報」と片付ける占い師もいれば、ここにまた上っ面な手段を教える占い師もいるだろう。
それも、レベルなのだ。
後日、その方と直接お会いする機会があり、わたしは、より具体的なアドバイスをした。
しかし、それは本人にとっては、かなりしんどいことだろうと思う。なぜなら、自分と向き合わなければならないからだ。
隠しておきたいこと。なかったことにしておきたいこと。そんなの誰にだってある。その事実は消えない。しかし、そのときの自分よりも、魂は磨けるのだ。
自分の魂を磨けるのは、自分しかいない。
そして、自分の魂を磨くのに、よそ見をしていたら磨けるはずもない。
つまり、自分と向き合うことは、究極の近道なのだ。
どんな、側道や回り道を走っても、必ず本線に戻る。その本線とは、「自分と向き合うこと」なのだ。
そのアドバイス後に、その方に一体の天使が降りてきた。(友だちもそれを確認していた)
その天使と協力して、自分と向き合う覚悟を持つのか、
上っ面なラクな方に行って、天使との距離を遠ざけてしまうのか、
すべて、自分次第なのだ。
さて、ずいぶん話が脱線してしまったが、
今回のお客様も、結論から言うと、大したことはなかった。
その方に「憑いてる」と言ってきた人を、霊視してみると、まぁ実にネガティヴな思考の持ち主。その人からすれば、憑いてるモノは大きくみえたのかもしれない。なぜなら、それがレベルだから。
わたしからみたら、アリみたいなものだったということだ。
お客様も、その人に言われた時は、内心「は?」と思っていたらしいが、まぁ気持ちのいいものではなかったために、わたしのところに縁を繋いだ。
その結果、そのお客様が本当に悩んでいたことにも、お話ができたので、結果オーライ。
(その話の方が、よっぽど重要だった。)
そうそう、
3年前、茜にキツネが3,000体以上、憑いてるときに、大阪のY子が、
「あんたが殺されるかもしれん!」
と、泣きながら、キツネから離れて欲しいと懇願されたことがある。
Y子にとっては、それが脅威でしかなかったのだ。
しかし、わたしにとっては、脅威ではなく、ただただめんどくさいだけの存在でしかなかった。笑
わたしは、キツネと戦う気などさらさらなかった。
(キツネもわたしと戦う気などない。そもそもわたしの前に現れたことがない。いつも、遠いところからこちらを見ていただけ。わたしの視線と目が合うのを恐れていた感じだった。)
キツネは、茜が居心地良いから棲みついていただけのこと。
てことは、茜が、キツネにとって居心地悪い場所になれるかどうか。
茜の問題なのだ。
なので、わたしはずっと茜の中にいるパラサイト(この場合は『思考の癖』を指す。)と闘い続けて来たのだ。
茜が、わたしの味方につくか、自分の中のパラサイトの味方につくか。
すべて、本人次第なのだ。
なので、
わたしのお祓いは、ろうそくも使わない。祝詞もお経も言わない。明るい部屋で、普段着のまま。
ただ、時々、黙ることはある。(それがいちばん恐ろしいかもしれない。笑)
この展開は、なかなか珍しい。
わたしに「祓ってほしい」と言いたい人はたくさんいるが、みんな気易く言うことが怖いのか、遠慮する。そして、会話がはずんだ先で、「憑いてたら祓ってください。」と笑いながら内心本気で懇願してくるのが、よくある展開だ。
霊能者のお祓いというと、ろうそくと線香、薄暗い空間で、白装束のような正装の格好をし、祝詞(のりと)やお経などを発しながらのことを想像するのではないかと思う。(そういうテレビ番組の影響もあって。)
もちろん、きっとそれも正解だろうが、
本質は「やり方」ではなく「レベル」だと、わたしは思っている。
よく考えてみると、人間にだって、プラス人間、マイナスな人間は存在する。
どの人間が自分に寄ってくるかは、『自分の在り方』で、ほぼ決まっている。
側から見ても、意地悪な人間の周りには、意地悪な人間が集まっていると誰もが納得するのは、そういうこと。
神聖な神がつくのか、厄病神がつくのか、はたまた生き霊がつくのか、そんなのだって、その人の『在り方』なのだ。
昔、わたしの友だちから、「友だちの相談に乗って欲しい」とLINEが来た。
そのお友だちの顔写真を送ってほしいとお願いして、顔写真を見て、わたしは
「んー…。昔、学生時代とかに、人をいじめたり、意地悪なことしてきた?」
と伝えた。
わたしの友だちは、驚いて、その友だちに尋ねたら、重い口を開いて頷いたらしい。
わたしからしたら、「だよね」と言うしかないのだが、つまり、その方は「愛を知らない」のだ。
社会人となって、いじめることはしなくなっても、手っ取り早い上っ面なものを愛だと思い込み、求めてしまう。
それがわからないから、周りから疎外され、今度は自分がいじめられているような環境だと感じてしまっていた。
これを、「因果応報」と片付ける占い師もいれば、ここにまた上っ面な手段を教える占い師もいるだろう。
それも、レベルなのだ。
後日、その方と直接お会いする機会があり、わたしは、より具体的なアドバイスをした。
しかし、それは本人にとっては、かなりしんどいことだろうと思う。なぜなら、自分と向き合わなければならないからだ。
隠しておきたいこと。なかったことにしておきたいこと。そんなの誰にだってある。その事実は消えない。しかし、そのときの自分よりも、魂は磨けるのだ。
自分の魂を磨けるのは、自分しかいない。
そして、自分の魂を磨くのに、よそ見をしていたら磨けるはずもない。
つまり、自分と向き合うことは、究極の近道なのだ。
どんな、側道や回り道を走っても、必ず本線に戻る。その本線とは、「自分と向き合うこと」なのだ。
そのアドバイス後に、その方に一体の天使が降りてきた。(友だちもそれを確認していた)
その天使と協力して、自分と向き合う覚悟を持つのか、
上っ面なラクな方に行って、天使との距離を遠ざけてしまうのか、
すべて、自分次第なのだ。
さて、ずいぶん話が脱線してしまったが、
今回のお客様も、結論から言うと、大したことはなかった。
その方に「憑いてる」と言ってきた人を、霊視してみると、まぁ実にネガティヴな思考の持ち主。その人からすれば、憑いてるモノは大きくみえたのかもしれない。なぜなら、それがレベルだから。
わたしからみたら、アリみたいなものだったということだ。
お客様も、その人に言われた時は、内心「は?」と思っていたらしいが、まぁ気持ちのいいものではなかったために、わたしのところに縁を繋いだ。
その結果、そのお客様が本当に悩んでいたことにも、お話ができたので、結果オーライ。
(その話の方が、よっぽど重要だった。)
そうそう、
3年前、茜にキツネが3,000体以上、憑いてるときに、大阪のY子が、
「あんたが殺されるかもしれん!」
と、泣きながら、キツネから離れて欲しいと懇願されたことがある。
Y子にとっては、それが脅威でしかなかったのだ。
しかし、わたしにとっては、脅威ではなく、ただただめんどくさいだけの存在でしかなかった。笑
わたしは、キツネと戦う気などさらさらなかった。
(キツネもわたしと戦う気などない。そもそもわたしの前に現れたことがない。いつも、遠いところからこちらを見ていただけ。わたしの視線と目が合うのを恐れていた感じだった。)
キツネは、茜が居心地良いから棲みついていただけのこと。
てことは、茜が、キツネにとって居心地悪い場所になれるかどうか。
茜の問題なのだ。
なので、わたしはずっと茜の中にいるパラサイト(この場合は『思考の癖』を指す。)と闘い続けて来たのだ。
茜が、わたしの味方につくか、自分の中のパラサイトの味方につくか。
すべて、本人次第なのだ。
なので、
わたしのお祓いは、ろうそくも使わない。祝詞もお経も言わない。明るい部屋で、普段着のまま。
ただ、時々、黙ることはある。(それがいちばん恐ろしいかもしれない。笑)