結界。


『結界』と聞くと、あなたはどんなイメージを持つだろうか。

悪いものと、良いものの区別?
向こうと、こっちの分断?
悪い空間と、良い空間?
・・

いろんなイメージがあるだろう。



以前、まだ門下生がスタッフとしてサロンに居た時に、こんな話があった。

その頃、わたしはサロンで、『月イチ座談会』を始めた。
主にわたしが話をするというスタンスで、人数はマックス5人。
そこに、門下生も加わるので、部屋の広さに対しては、まぁまぁな密度だった。

ある時、茜がわたしに、

「いくえさん、講演をしたら良いと思う!」

と、言ってきたので、わたしは、すぐに、

「悪くはないかもしれないけど、お客様は多くて30人くらいがマックスだね。」

と、答えた。

すると茜には、30人という人数が少なすぎると感じたのか、

「30人?もっとたくさんの人に、いくえさんの話を知ってもらった方が良い!」

と、更に言ってきたので、わたしは、

「人数の問題じゃないの。質の問題。来てくれたお客様全員の顔が見えるのが、おそらく30人。」

と、答えた。
それでも茜は、わたしの意図が理解できない様子だった。

茜の気持ちもわかる。
どの世界でも、有名になると、数千人、数万人規模の講演なんてザラにある。
きっと、茜は、わたしの話は、そこに匹敵すると本気で感じているからこその話だったと思う。

周りの門下生たちも、おそらく茜の気持ちの方がイメージできて、わたしが言っている意味を必死に考えているように見えた。


わたしは、
「1000人来てくれたとして、そのうち500人は理解できずに終わったとしたら、それって何の意味があるの?」
と、付け加えたが、それでも彼女たちを100%納得させることはできないまま終わった。



最近になって、また、いろいろな情報がわたしのところに入ってくるようになった。

その中で、『結界』に関する情報があった。


結界とは、いわば、薄い膜のようなもの。

体内にはたくさんの臓器がある。
肝臓と膵臓など、重なって存在するものもたくさんある。それでもその臓器は、それぞれ膜に覆われていているから、重なったとしても、肝臓と膵臓は別の臓器だと成立しているし、さらには働きも違う。

あなたが会社にお勤めなら、そこに部署というものが存在するだろう。
同じフロアでも、あちらとこちらでは部署が違い、似たようなことをしているように見えるが、実際は働きも違う。そのときも、見えない膜が、あちらにもこちらにも張られてあるのだ。

だから、会社の中でも、部署によってなんとなく雰囲気も違うというのは、そういうこと。

同じ人間がやっていることなのに、不思議で面白い。


そして、人間も同じで、一人一人、薄い膜で覆われていると想像してほしい。
だから、どんなに交わっても、吸収されることはなく、お互いに別の個体であり、別の思考を持っている。


わたしが言いたかったのは、まさしくそこのところで、

AさんとBさんは、それぞれ結界がある。
隣同士に座って、わたしの話を聞いていても、Aさんは話の意味が想像できるが、Bさんは実は想像できていないとする。
そのときに、わたしは、Bさんも想像できるように、言い方を変えて話をし直す必要があるのだ。

しかし、大勢の講演ではそれができない。ということは、わざわざお越しになっても、すべての人が理解するのは不可能。

それがわかっていて、そんな講演をすることにどんな意味があるのか。

ということなのだ。


実際、
月イチ座談会で、5人の方がいらっしゃった時でさえ、理解は様々だったと思う。

ましてや、加えて、門下生などいろんな人がいる中で、質問をすることすら、勇気が出ずに終わった方もいただろうと思う。


一度にたくさんの方を集めることは、素晴らしいことだ。
それは、ビジネスという視点からしても、正解だと思う。

しかし、わたしは、どこに重きをおきたいか?

自分が一方的に話して、拍手をもらったら、それで良いのか?
そんなのは、究極の自己満足ではないか?

わたしは、なんのためにここに存在し、なんのためにこの活動を続けているのか?


それは決して、「何人集めた!」という人数や規模の大きさではなく、

目の前の人が、どれだけ理解し、どれだけ納得できたか。



ここの部分は、わたしからは失くせない信念なのだ。

なので、今は座談会も個別に行っている。
※ →『本物の豊かさを学ぶ時間(座談会)』




そして、わたしのメニューに、時間の縛りを設けなくなった理由も、

サロン全体が、その人の波長(波動や周波数など)に合ってくるようで、時間の流れがゆっくりと感じるようになる。

そのため、ご本人は、1時間くらい話したつもりが、気づいたら、2〜3時間経っていることがほとんどなのだ。

頭の中も、心の中も、何かのつっかえが取れたようにスッキリするのは、理解でき、納得し、さらに【腑に落ちた】からなのだ。


そういう体感ができる場所なのだから、それを存分に扱っていくことこそが、世のため人のためになる1つだと自負している。



わたしのところには、老若男女問わず、様々な立場の方がお越しになる。
その方々を、横並びに座らせ、わたしが一方的に話したところで、何になるのか。

わたしの知識を話した結果、それを聞いた方が、何かヒントにならないか?と必死に手繰り寄せれば、ヒントが見つかるかもしれない。

そんな、ギャンブルみたいなことをやるほど、人間に時間は与えられていない。

もっといえば、それで解決できているなら、わざわざわたしのところへ案内される必要がないのだ。



答えを見つけても、そこから経験して「事実」にしなければ、ただの頭でっかちなだけ。

その「経験」の間も、わたしは伴走者として存在する。



『結界』とは、良い悪いの差別でもなければ、排除する手段でもない。

誰にも存在する薄い膜で、それぞれ最適なレベルで守られている。
魂レベルが変われば、結界のレベルも変わる。



ついでに言うと、霊力が高まれば、『地上界と天界を結ぶ』こともできるということだ。
(体力でやっているうちはダメージが大きすぎるので、わたしはお勧めしていない。これは、霊力の話。)


今になって、この話を茜にしたら、

「納得!!」

と、返事が来た。



よくある占いや、よくあるカウンセリングとは、全く別物のことを、わたしは、今日も当たり前にやっている。