特別コンサル。


先日、とある方から、
「また、コンサルをお願いしたいのですが。」
と、ご連絡をいただいた。


コンサルというのは、
メンタルコンサルティング。

わたしは、きっと、19歳の頃からメンタルコンサルティングをしてきたように思う。


メンタルとは、心や精神面を指す。
心のコンサルティングとは、どういうものなのか、想像つかない方も多いだろう。

世の中にも、メンタルコンサルティングは存在していると思うが、わたしのメンタルコンサルティングは、「土台の積み上げ」だ。

目に見える部分は、ひたすら、選択肢の提示と伴走をしている。

そして、最初から最後まで、
「あなたは、どうしたいのか?」
という質問をされる。
実際にはされていなくても、されているかのような状態になっていくだろう。


視心カウンセリングでも同じことが言えるのだが、コンサルは、もっと深いところでのやり取りとなる。

なので、当然ラクではない。


茜も、このコンサルで、わたしにボコボコにされた。
※その様子の、氷山の一角を書いたブログがコチラ → 《小説よりも奇なり》


このコンサルは、知識と実践を並行して行う。
そして、それは当然わたしのテンポ。

なので、ほとんどが、頭がパンパンになって、脳が筋肉痛を起こす。
そして、わたしと時間的に距離を置く。


茜だけは、距離を置くことすらもままならず、返り討ちに遭うのだが、それでも逃げ出さなかった。


テンポの調整が必要ならば、それもきちんと伝えることなのだ。
(自分の人生は、自分で操縦していることを忘れてはならない。)


このコンサルは、わたしが主導ではない。
「自分がどう在りたいか。」という目標に本人が向かっていくしかない。
その道すがら、迷ったり、わからなかったりすることもあるだろう。
そのときに選択肢を提示があれば、目の前のことを一旦、整理できるはずだ。
そして、改めて、自分が向かいたい方向を定めて進むというもの。

ものすごく、シンプルなのだ。


しかし、
人間は、ラクをしたい。

何らかの魔術で、ラクして、ラクな世界にワープしたいと思っている。
その程度が、ほとんどなのだ。
(これを読んで、ハッとした人も多いはず。)


あなたが思う「ラク」とは、一体なんなのか?

その「ラク」を続けていくと、
あなたの脳はどうなるのか?
あなたの体はどうなるのか?

その「ラク」から何を生み出せそうなのか?
その「ラク」から何を学び、何を育てられそうなのか?


地球上で1人、あなただけが生きているなら、成立するかもしれない。

しかし、いろんな人と共存している。

あなたの「ラク」は、他人にとっても「ラク」なのだろうか?

・・・

勘のいい人間は、この話で、
「幸せとは何か」
に、ピンとくるだろう。

そうじゃない人間は、この話の意味すらわからず、想像すらできないだろう。


それくらい、多種多様な人間が存在しているのだ。


わたしのコンサルは、このレベルで進めていく。
やめるか、続けるかは、100%あなた次第なのだ。

ご連絡いただいた方は、コンサルがメニューにある時からの方で、

少し前に、自分の身に起きたことを、どう乗り越えるかという事をきっかけに、お問い合わせいただいた。
(コンサルは1か月間。続ける場合は、お客様からその意思をお伝えいただいてからになる。)


目の前に起こった現実、
それをどう解釈し、選択するか。

こんなことは、人生の中でゴマンとある。


自分だけが、不幸だとか、苦しいだとか、そんなことは絶対にない。


しかし、
人間は、そうやって、自分で自分を陥れる。

なぜか?

それが幸せだからだ。
幸せとは、不幸の中にあると思っている。


自分が苦しみ、泣いていると、
周りが心配してくれる。

これが幸せだと思っている。


自分は苦しく、不幸なんです。
と相談すると、その相手が慰めてくれる。

これが幸せだと思っている。


つまり、
幸せとは、限定的で、独立したものだと、思い込んでいる。


だから、自分は、常に不幸で苦しんでおかないといけないと、潜在的にシステム化されているのだ。



それを乗り越えたいのであれば、
自分の行動を、自分で変えるしかない。


しかし、
自分の行動は、あたかも誰かに乗っ取られていて、乗っ取った他人が、勝手に動かしていると、思い込んでいる。

そして、自ら不幸探しを行い、自分を責め、「苦しい苦しい」と、アピールする。


・・・
そんな人、いるの?と思っている人もいるだろうが、これを読んでいる人の大半は、グサグサと、刺さっているのが、現状なのだ。

こういう人間は、ビジネスにはカッコウの的だ。

その思い込みを、最大限に利用すれば、ビジネス的な洗脳も容易い。

「誰かがなんとかしてくれる!」
という、そもそもの意識を利用して、
お祓いだの、高額支払いだの、定期的に献上させる。

そして、死ぬまで、「誰かのために」自分の意識を捧げるのだ。

確かに、「ラク」である。

しかし、それが自分の脳や体、周りの人間に、どんな影響があるのか。。

・・・

人の幸せなんて、それぞれだ。
それも、自分の選択なら、それで良い。



しかし、
その方は、わたしを選択した。

当然、厳しいことを理解している。



わたしに相談しておきながら、
自分の不幸探しは、やめられない。


依存症とも似ているので、
おそらく、脳の反応場所は、同じなのだろう。



病院に相談に行けば

何らかの薬を処方され、
服用すれば、症状は軽くなるだろう。

しかし、
薬は、魔法ではない。


ここまで来れば、これを読んでいる人のほとんどが、何が大事なのかが理解できていると思う。




自分自身と向き合うことができないなら、
自分をコントロールすることなど、できなくて当たり前。


自分自身と向き合うことができないなら、
自分の意識も受け取らず、誰かに支配されて動かされていると、平気で思うのも当たり前。




自分はこれだけ愛されていながら、
それを、全無視し、自分自身も愛さずに、ただそこに彷徨っている。

一体、何がしたいのか。

まるで、今を生きていない。



わたしは、
「さぁ、どうしますか?」
と、尋ねた。


自分で自分をコントロールする気がなければ、何も変わらない。

もう一つ言えるのは、
もし、わたしが魔術をつかったとしても、その心では魔術のエネルギーには耐えられない。
(命を落とすことになるのも、当然だ。)



その方は、
「変わりたいです。」
と、答えた。

この返事が、『約束』なのだ。


わたしは、
「目の前の幸せを感じることができる心を養ってください。」
と、伝えた。

これが、自分の行動を変える「方法」だ。




逃げたければ、いつでも逃げれば良い。
それも、あなたの人生なのだから。





〜メンタルコンサルティング〜
現在は、メニューにはない。
カリキュラムも、時間の縛りもない、再現性のない唯一のコンサル。
(わたしがこの世に存在して、わたしにやる気があるうちに、実施されるコンサル。)

基本的には、尋ねられたことに答えるシステム。
SNSを使用しての文字でのやりとり。そのため、自分の思いを言葉に乗せなければならない。

かなりの信頼関係がなければ、耐えられない可能性が高い。
そのため、現在は積極的には勧めていない。