珍しく?投稿に間が空いた。
わたしは相変わらずな生活を送っているのだが、ちょうど子どもたちの環境が変わるときでもあり、おかげで、わたしも未知の世界を少し知る機会に触れている。
茜のコンサルの3年間は、
コンサルと同時に、本当に、わたしも「人間が正解だと示す、経営のやり方」をやろうとしていた。
それは、もちろんわたし自身がやってみたかったのだろう。
しかし、やってもやっても、わたしには、人間が示す結果は出なかった。
「おかしい・・」
たくさんの経営者が、同じ考え、同じ視点なのだ。そこは何度も何度も答え合わせできた。
それでも、ピクリとも動かない。
・・・
そう。だいたい目星はついていた。
『わたしには、当てはまらない。』のだ。
皮肉なモノで、同じことを他の人に教えて、その人がやると、結果は出る。
わたしにだけ、出なかった。
つまり、人間が正解だと示す経営とは、
『=お金』。
そして、この瞬間に、アリ地獄ににハマる。
人間は、お金の正体を知らないまま、ただ、お金を追い、お金に追われる。
その結果、
お金に狂わされる人間が、ほとんどで、
お金とは恐ろしいものだと、思い込む。
つまり、
お金があっても、なくても、幸せにはなれない状態。
そこに、
わたしは1ミリも足を踏み入れさせてもらえずにいた。
ということだ。
いくら、わたしがお金の正体を知っていても、周りの人間が知らなければ、結局、アリ地獄は変わらない。
そして、
3年が経とうとしたときに、
『強制終了』となった。
しかし、
それは、とても良い経験だった。
自分のことを、改めて再確認できたのも、この期間があったから。
お金がある人間も、ない人間も、
わたしのところに、案内されるのは、
結局は、お金がすべてではない。という証なのだ。
誰が、お金を持つか。
それにより、意味も、使い道も、全く違う結果となる。
ということは、そこに重要なのは、お金ではないということだ。
そうは言っても、ほとんどの人間は、ついてこれないだろう。
この話を理解するのは、ほとんどの人が、死ぬ時に理解できるのだと思う。
(一部は、死んだ後に、理解する。)
人間として、お金よりも大事なものは、
「価値観の広さ」と「経験」だ。
(※価値観を広げるには、知識も必要。)
大昔の人間は、テレパシーで交信していた。
それは宇宙の名残で、宇宙人もテレパシーで交信している。
あ、最近、あまり話していないのだが、
わたしの周りには、
【神・龍・天使・宇宙人】
が、存在している。
それぞれの、エピソードもあるので、
詳しく聞きたい方は、ぜひ座談会にでも。
(あまり、話してない理由は、わたしにとっては特別なことではないから。)
話を戻して、
大昔の人間もテレパシーで交信していたが、結局は、そこにも、交信レベルが生じて、みんなに一律には伝わらない。
そこで、言葉をつくり出せば、たくさんの人に一律に伝わる。となったのだ。
しかし、
この言葉も、ある程度のレベルになると、
価値観の広さの違いや、経験の差で、一律には伝わらなくなるのが、実情。
言葉自体は、聞き取れるし、読める。
しかし、そこに、話し手の思いを読み解くには、聞き手の想像力が必要になる。
そうなると、
聞き手の価値観の広さや、経験値が、話し手と一致しないと、同じものを想像することは難しくなる。
言葉は、通じているのだが、
思いが通じていないという状態が、あちこちで引き起こされている。
つまり、
目先のモノだけを手に入れても、価値観の広さと、経験がなければ、実際のところのレベルは変わらない。
そうなると、
お金=信用
だと、思い込んでる人間は、
いつか必ず、『盛者必衰』となるのだ。
https://www.instagram.com/share/_cbW-WIst
↑
この動画をぜひ、観てほしい。
感想は、それぞれあるだろう。
わたしは、
「ここまでしないと、これに気づけなかったんだな。
だから、ここまで経験させられたんだな。」
と、思った。
彼が、その経験で、そこに気づけたのだから、良かった。
しかし、
ここまでの経験をしなくても、そこに気づける人間もいるということを、忘れてはいけない。
結局は、
人生の成功は、お金ではない。
(お金を否定しているのではない。事実を伝えている。)
今の人間界の、『成功=お金=信用』も、
誰かが作り出したシナリオなのだ。
人間界は、マジョリティーが「常識」となり、「正解」となる法則がある。
ということは、
マイノリティーが増えれば、やがてそれがマジョリティーとなる。
人間界とは、面白いところだ。
「幸せとは?」の、結論は出ていて、
『自分の好きなこと(やりたいこと)をすること。』
それを、することで、
誰かを幸せにできるかもしれない。
それを、することで、
世界を幸せにする一員になれるかもしれない。
そこまで考えられたら、
「なんのためにそれをするの?」
の質問に、
「自分のため。」
と、堂々と答えられるだろう。
そこに、答えられて初めて、
「自分の人生を歩んでいる。」
と、言えるのかもしれない。
わたしは相変わらずな生活を送っているのだが、ちょうど子どもたちの環境が変わるときでもあり、おかげで、わたしも未知の世界を少し知る機会に触れている。
茜のコンサルの3年間は、
コンサルと同時に、本当に、わたしも「人間が正解だと示す、経営のやり方」をやろうとしていた。
それは、もちろんわたし自身がやってみたかったのだろう。
しかし、やってもやっても、わたしには、人間が示す結果は出なかった。
「おかしい・・」
たくさんの経営者が、同じ考え、同じ視点なのだ。そこは何度も何度も答え合わせできた。
それでも、ピクリとも動かない。
・・・
そう。だいたい目星はついていた。
『わたしには、当てはまらない。』のだ。
皮肉なモノで、同じことを他の人に教えて、その人がやると、結果は出る。
わたしにだけ、出なかった。
つまり、人間が正解だと示す経営とは、
『=お金』。
そして、この瞬間に、アリ地獄ににハマる。
人間は、お金の正体を知らないまま、ただ、お金を追い、お金に追われる。
その結果、
お金に狂わされる人間が、ほとんどで、
お金とは恐ろしいものだと、思い込む。
つまり、
お金があっても、なくても、幸せにはなれない状態。
そこに、
わたしは1ミリも足を踏み入れさせてもらえずにいた。
ということだ。
いくら、わたしがお金の正体を知っていても、周りの人間が知らなければ、結局、アリ地獄は変わらない。
そして、
3年が経とうとしたときに、
『強制終了』となった。
しかし、
それは、とても良い経験だった。
自分のことを、改めて再確認できたのも、この期間があったから。
お金がある人間も、ない人間も、
わたしのところに、案内されるのは、
結局は、お金がすべてではない。という証なのだ。
誰が、お金を持つか。
それにより、意味も、使い道も、全く違う結果となる。
ということは、そこに重要なのは、お金ではないということだ。
そうは言っても、ほとんどの人間は、ついてこれないだろう。
この話を理解するのは、ほとんどの人が、死ぬ時に理解できるのだと思う。
(一部は、死んだ後に、理解する。)
人間として、お金よりも大事なものは、
「価値観の広さ」と「経験」だ。
(※価値観を広げるには、知識も必要。)
大昔の人間は、テレパシーで交信していた。
それは宇宙の名残で、宇宙人もテレパシーで交信している。
あ、最近、あまり話していないのだが、
わたしの周りには、
【神・龍・天使・宇宙人】
が、存在している。
それぞれの、エピソードもあるので、
詳しく聞きたい方は、ぜひ座談会にでも。
(あまり、話してない理由は、わたしにとっては特別なことではないから。)
話を戻して、
大昔の人間もテレパシーで交信していたが、結局は、そこにも、交信レベルが生じて、みんなに一律には伝わらない。
そこで、言葉をつくり出せば、たくさんの人に一律に伝わる。となったのだ。
しかし、
この言葉も、ある程度のレベルになると、
価値観の広さの違いや、経験の差で、一律には伝わらなくなるのが、実情。
言葉自体は、聞き取れるし、読める。
しかし、そこに、話し手の思いを読み解くには、聞き手の想像力が必要になる。
そうなると、
聞き手の価値観の広さや、経験値が、話し手と一致しないと、同じものを想像することは難しくなる。
言葉は、通じているのだが、
思いが通じていないという状態が、あちこちで引き起こされている。
つまり、
目先のモノだけを手に入れても、価値観の広さと、経験がなければ、実際のところのレベルは変わらない。
そうなると、
お金=信用
だと、思い込んでる人間は、
いつか必ず、『盛者必衰』となるのだ。
https://www.instagram.com/share/_cbW-WIst
↑
この動画をぜひ、観てほしい。
感想は、それぞれあるだろう。
わたしは、
「ここまでしないと、これに気づけなかったんだな。
だから、ここまで経験させられたんだな。」
と、思った。
彼が、その経験で、そこに気づけたのだから、良かった。
しかし、
ここまでの経験をしなくても、そこに気づける人間もいるということを、忘れてはいけない。
結局は、
人生の成功は、お金ではない。
(お金を否定しているのではない。事実を伝えている。)
今の人間界の、『成功=お金=信用』も、
誰かが作り出したシナリオなのだ。
人間界は、マジョリティーが「常識」となり、「正解」となる法則がある。
ということは、
マイノリティーが増えれば、やがてそれがマジョリティーとなる。
人間界とは、面白いところだ。
「幸せとは?」の、結論は出ていて、
『自分の好きなこと(やりたいこと)をすること。』
それを、することで、
誰かを幸せにできるかもしれない。
それを、することで、
世界を幸せにする一員になれるかもしれない。
そこまで考えられたら、
「なんのためにそれをするの?」
の質問に、
「自分のため。」
と、堂々と答えられるだろう。
そこに、答えられて初めて、
「自分の人生を歩んでいる。」
と、言えるのかもしれない。