2024年は、県外出張も、ほぼお休みしていた。
(岐阜は12月初めに開催した。)
そのため、物理的に距離のある人とは、意識的にも離れることになる。
もちろん、物理的な距離は離れていても、意識的な距離は変わらない人もいるのだが、それは、その人が、意識的には離れない努力をしているから。
物理的には、遠く離れていなくても、
意識的に離れる場合も、当たり前にある。
つまり、ここでも
どうしたいのか?
は、すべて、自分次第ということだ。
『意識的に離れる』というところで、
「いくちゃんに依存しないように」という考えの人もいる。
これには、わたしはあまり理解できないでいる。
わたしに、尋ねたり相談したり、いろんな報告をしたり。
それが、なんの依存なのか?
依存とは、
「やめたくても、やめられない状態。」
を指す。
もっというなら、脳の機能が低下し、無意識の意識で行動を起こすことであり、
そこには、自己中心的な目的があり、相手を尊重することに欠ける状態でもある。
しかし、わたしは、
相手に考えさせないことは、しない。
どちらかというと、みんな「やめたい。」笑
なぜなら、しんどいから。自分が慣れたラクな方を選択したいと思うからこそ。
そして、
なぜ、わたしに尋ねたり、相談したりするのか?
それは、
自分では方法が見つからなかったり、自分がやってることではなかなか成果がでなかったり、迷っている状態だからではないか。
となれば、
自分で調べるか、誰かに相談するかになるはずだ。
しかし、ここで、
「自分でなんとかしなければ!」
と、なんの正義なのかわからないが、
自分にある知識だけで、なんとかしようとする。
自分の知識だけで、なんともなっていないから、今の結果なのに、そこに気づかず、おんなじところをグルグル回って、それで、
「自分は、考えている。」
と、思い込み、
しかし、結果は変わらないので、
「自分はこんなに考えているのに、なんで変わらないの!」
と、周りに八つ当たりするのが現実だ。
茜が、
「いくちゃんは、『幾重塾』だよね。学習塾とは違って、自分の人生をどう歩むか?のヒントをくれる。」
と、よく言うのだが、そういうことなのかもしれない。
久しぶりに、距離が縮まると、
会わないうちに、元通りになってしまっている人が、ほとんど。
これも、仕方ないことなのだと、今のわたしなら理解できる。
茜のコンサルをする前は、
元に戻ることが、理解できなかった。
わたしの元で、こんなにしんどい思いをして得た技術を、どうしてすぐに忘れてしまうのか?
わたしと離れたあとも、向上心を持って生きたいと思わないのか?
不思議で仕方なかったし、
同時に、
「だったら、わたしのやっていることは、なんの意味があるのか?」
とも思うようになった。
それで、わたしは、スピリチュアルを辞めようとまでしたのだ。
(なんの役にも立たないなら、やらない方がいい。と思ったから。)
しかし、直後に茜が現れ、ご存じのとおり、辞めることはできなかった。
茜のコンサルをする中で、門下生のみゆきちゃんが、
「いくちゃんと離れたらね、知らない間に元に戻ってるのよ!」
と話してくれたことがある。
「いくちゃんがいないからこそ、自分でなんとかしなきゃ!と思うのだけど、自分の価値観や思考なんて、そう簡単に、いくちゃんに追いついているはずもなく。
自分で自分にヒントも出せずに、気づいたら、長年の慣れた考えに、引きずりこまれて、あっという間に元通り。
元通りになってしまったら、もう自分1人では、どうしようもなくて。」
と、みゆきちゃん自身の経験を交えて話してくれた。
茜を、修行に出した時も、
茜は、ついつい長年の自分の癖に染まっていった。
その気持ち悪い染まり具合いに、
わたしが気づかないわけもなく。
「あなたが、わたしの元から完全に離れるつもりなら、そのままで大丈夫。
その代わり、一切、わたしと関わらないで。
わたしは、そんな腐った人間とは付き合う気は1ミリもない!」
と、絶縁状を叩きつけた。
茜は、そこで初めて自分の状態に気づき、
「離れるつもりはない!」
と、何度も懇願したという経緯があった。
だからこそ、
今なら、わたしは理解できる。
つまり、
自分の人生を過ごしてきた「時間」をナメてかかっていては、成長なんてのは、一瞬で水の泡となるということだ。
人生を変える。自分を変える。
何か変えようとするならば、
自分で変わろうと、「努力しつづける」ことが、必要なのだ。
変わるために努力した → 変わった → 終わり → 元通り
変わるために努力をはじめた → 変わった → 努力を続ける → 変わった → 努力を続ける → 変わったことを維持 → 努力を続ける ・・・
と、後者でなければならないし、一流の人間は当たり前に後者なのだ。
死ぬまで勉強。と伝えている。
ということは、死ぬまで、本を読んだり、誰かに尋ねたりし続けるということだ。
自分1人でなんとかしようとするから、余計な『老害』を生み出すのかもしれない。
岐阜出張が終わってから、
『幾重塾』の必要性を、すごく感じている。
塾生も、増えてきた。
どうすることもできずに、ただ不幸を振り撒いている人間が、あちこちにいる。
『幾重塾』は、1か月間完全個別のオンラインでのやりとり。(有料・・有料にすることで、本人の覚悟に繋がるため。)
わたしは、呼吸をするように当たり前にやりとりできるが、塾生は、自分にない価値観や思考を目の当たりにして、脳が筋肉痛を起こす場合もある。
年を重ねると思考も偏る。それに伴い、脳の機能も偏り、機能が低下する傾向にある。
自分にない価値観や思考、知識を認識することで、脳の機能も活性化する。
『幾重塾』は、自分と向き合う最大のツールなのだ。
(通常メニューには掲載されておりません。直感的に気になった方は、お問い合わせください。)
(岐阜は12月初めに開催した。)
そのため、物理的に距離のある人とは、意識的にも離れることになる。
もちろん、物理的な距離は離れていても、意識的な距離は変わらない人もいるのだが、それは、その人が、意識的には離れない努力をしているから。
物理的には、遠く離れていなくても、
意識的に離れる場合も、当たり前にある。
つまり、ここでも
どうしたいのか?
は、すべて、自分次第ということだ。
『意識的に離れる』というところで、
「いくちゃんに依存しないように」という考えの人もいる。
これには、わたしはあまり理解できないでいる。
わたしに、尋ねたり相談したり、いろんな報告をしたり。
それが、なんの依存なのか?
依存とは、
「やめたくても、やめられない状態。」
を指す。
もっというなら、脳の機能が低下し、無意識の意識で行動を起こすことであり、
そこには、自己中心的な目的があり、相手を尊重することに欠ける状態でもある。
しかし、わたしは、
相手に考えさせないことは、しない。
どちらかというと、みんな「やめたい。」笑
なぜなら、しんどいから。自分が慣れたラクな方を選択したいと思うからこそ。
そして、
なぜ、わたしに尋ねたり、相談したりするのか?
それは、
自分では方法が見つからなかったり、自分がやってることではなかなか成果がでなかったり、迷っている状態だからではないか。
となれば、
自分で調べるか、誰かに相談するかになるはずだ。
しかし、ここで、
「自分でなんとかしなければ!」
と、なんの正義なのかわからないが、
自分にある知識だけで、なんとかしようとする。
自分の知識だけで、なんともなっていないから、今の結果なのに、そこに気づかず、おんなじところをグルグル回って、それで、
「自分は、考えている。」
と、思い込み、
しかし、結果は変わらないので、
「自分はこんなに考えているのに、なんで変わらないの!」
と、周りに八つ当たりするのが現実だ。
茜が、
「いくちゃんは、『幾重塾』だよね。学習塾とは違って、自分の人生をどう歩むか?のヒントをくれる。」
と、よく言うのだが、そういうことなのかもしれない。
久しぶりに、距離が縮まると、
会わないうちに、元通りになってしまっている人が、ほとんど。
これも、仕方ないことなのだと、今のわたしなら理解できる。
茜のコンサルをする前は、
元に戻ることが、理解できなかった。
わたしの元で、こんなにしんどい思いをして得た技術を、どうしてすぐに忘れてしまうのか?
わたしと離れたあとも、向上心を持って生きたいと思わないのか?
不思議で仕方なかったし、
同時に、
「だったら、わたしのやっていることは、なんの意味があるのか?」
とも思うようになった。
それで、わたしは、スピリチュアルを辞めようとまでしたのだ。
(なんの役にも立たないなら、やらない方がいい。と思ったから。)
しかし、直後に茜が現れ、ご存じのとおり、辞めることはできなかった。
茜のコンサルをする中で、門下生のみゆきちゃんが、
「いくちゃんと離れたらね、知らない間に元に戻ってるのよ!」
と話してくれたことがある。
「いくちゃんがいないからこそ、自分でなんとかしなきゃ!と思うのだけど、自分の価値観や思考なんて、そう簡単に、いくちゃんに追いついているはずもなく。
自分で自分にヒントも出せずに、気づいたら、長年の慣れた考えに、引きずりこまれて、あっという間に元通り。
元通りになってしまったら、もう自分1人では、どうしようもなくて。」
と、みゆきちゃん自身の経験を交えて話してくれた。
茜を、修行に出した時も、
茜は、ついつい長年の自分の癖に染まっていった。
その気持ち悪い染まり具合いに、
わたしが気づかないわけもなく。
「あなたが、わたしの元から完全に離れるつもりなら、そのままで大丈夫。
その代わり、一切、わたしと関わらないで。
わたしは、そんな腐った人間とは付き合う気は1ミリもない!」
と、絶縁状を叩きつけた。
茜は、そこで初めて自分の状態に気づき、
「離れるつもりはない!」
と、何度も懇願したという経緯があった。
だからこそ、
今なら、わたしは理解できる。
つまり、
自分の人生を過ごしてきた「時間」をナメてかかっていては、成長なんてのは、一瞬で水の泡となるということだ。
人生を変える。自分を変える。
何か変えようとするならば、
自分で変わろうと、「努力しつづける」ことが、必要なのだ。
変わるために努力した → 変わった → 終わり → 元通り
変わるために努力をはじめた → 変わった → 努力を続ける → 変わった → 努力を続ける → 変わったことを維持 → 努力を続ける ・・・
と、後者でなければならないし、一流の人間は当たり前に後者なのだ。
死ぬまで勉強。と伝えている。
ということは、死ぬまで、本を読んだり、誰かに尋ねたりし続けるということだ。
自分1人でなんとかしようとするから、余計な『老害』を生み出すのかもしれない。
岐阜出張が終わってから、
『幾重塾』の必要性を、すごく感じている。
塾生も、増えてきた。
どうすることもできずに、ただ不幸を振り撒いている人間が、あちこちにいる。
『幾重塾』は、1か月間完全個別のオンラインでのやりとり。(有料・・有料にすることで、本人の覚悟に繋がるため。)
わたしは、呼吸をするように当たり前にやりとりできるが、塾生は、自分にない価値観や思考を目の当たりにして、脳が筋肉痛を起こす場合もある。
年を重ねると思考も偏る。それに伴い、脳の機能も偏り、機能が低下する傾向にある。
自分にない価値観や思考、知識を認識することで、脳の機能も活性化する。
『幾重塾』は、自分と向き合う最大のツールなのだ。
(通常メニューには掲載されておりません。直感的に気になった方は、お問い合わせください。)