わたしの周りは、「難あり」の人間が多い。
当然、こういった取り組み(生業というよりも、取り組みと言った方が、しっくりくると気づいた。)をしているので、当然だ。
「難あり」が悪いと言ってるのではなく、それが事実というだけのこと。
いろんな方々の人生と向き合っている中で、
わたしも、常に学びがある。
わたしには門下生がいたが、
この1年間、わたしと離れたことで、無意識のうちに選択肢が狭まり、気づいたら元通りになっていた。
みんな、
「いくちゃんとは離れたんだし、自分でなんとかしなきゃ!」
と、間違った方向に、気合を入れていたのかもしれない。
わたしは、
「外に修行に出て、自分の実力を試しておいで。」
と言ったはずで、困ったことがあれば、いつでも尋ねておいで。と。
しかし、事実を『どう捉えるか?』というところにも、レベルが生じ、
わたしが伝えた言葉が、なぜか、素直に伝わらない。
その結果、
ずいぶん、困り果てていたような状態だったり、
早くに、逃げてしまっていた状態だったり、
簡単に言うと、過去の状態に元通り。
わたしも、こんなに見事に元通りになるんだな。と、衝撃だった。
(茜だけは、他の人とは違い、自分からわたしと離れないように取り組んでいたので、元通りにはなっていないが。)
ちょうど1年。
この1年というのも、ちゃんと理由があるんだな。
と、感じた。
1年未満であれば、まだ軌道修正ができる状態。
しかし、1年以上であれば、もう一度、1からやり直しの状態。
これまでの経験も重ねて分析すると、おそらく、この理由も間違っていないと思う。
だから、
ちょうど1年が経った頃に動き出し、動き出した途端に、バタバタと答え合わせしたのだろう。
門下生たちも、今では、幾重塾の塾生となり、もう一度、学び直している。
しかし、
過去の経験があるので、1からではあるが、想像ができるので、理解のスピードは速い。
幾重塾は、完全に個人的なやりとりなので、それぞれのペースで取り組むことができ、遠慮なく質問もできる。
わたしからの言葉も、しんどい時もあるが、
それは言葉がしんどいのではなく、
今まで、自分も他人も、知らん顔してきた部分を刺激されることがしんどいのだ。
「難あり」は、ほぼ親から受け継ぐ。
親自身も、その親から受け継いできた。
いわゆる、負のループ。
何がそうさせるのか?
というと、だいたいが、『妄想癖』『モラハラ』。
本人は、理想だと思い込んでいるが、妄想でしかない。
そもそも、想像は、自分の経験を元に作られる。
つまり、経験が乏しい時点で、想像力が豊かになることはない。
(妄想力なら、ものすごいが。)
そして、
想像ができるから、言葉が生まれる。(表現しようとする)
想像したものを、どう伝えるか?
想像したものが、ハッキリとあるから、言葉を探そうと思うし、伝えようと思うのだ。
自分に経験のないことを、勝手に妄想して、
子どもにあたかもそれが正しいと刷り込みを行っていること時点で、地獄なのだ。
そして、
もっと厄介なのは、妄想だから、失敗を嫌う。
自分に経験がないから、失敗したときの対処法などは全く身についていない。
そのため、子どもにも、失敗したことを執拗に責め「失敗させない」ようにしようとすることしかできない。
バカが子育てをしたら、バカが育つのは、当たり前のことなのだ。
それは、『妄想やりっぱなし理論』でしかなく、バカの教科書かもしれない。
その、妄想やりっぱなし理論で育てられた人間は、『やり直す』という選択肢を持っていない。
失敗してはいけないので、とにかく誤魔化して誤魔化して誤魔化し続ける。
そのため、大人になると、本当の信頼関係が築けず、周りには、良いように利用しようとする人間しか集まってこないか、完全に孤立するかの、どちらかの人生となり、地獄絵図。
本人も、過去に対して当然疑問は持っている。
しかし、自分にあるのは『妄想やりっぱなし理論』。
なので、
自分の失敗は、100%誰か(何か)のせいだし、
したこともないことを妄想して落ち込むし、
やり直すことはせずに、常に言い訳とセットで誤魔化すことしかできない。
そのため、
自分の過去を利用して、
「私の過去はこうだったから、今でも私は、こうなんですー!」
と、悲劇のヒロイン(ヒーロー)を演じ、
自分の過去を盾にして、ひたすら逃げ隠れを繰り返すだけの人生を歩む。
そして、
また、自分の子どもに、『妄想やりっぱなし理論』を無意識で、伝えていく。
・・・
わたしからすれば、もはや脳の認知機能の異常も含まれていると思っている。
これをも、わたしは伴走者として伴走している。
そこら辺のレベルのスピリチュアル程度で、
人間が幸せになるなんて、そんな簡単なものではないのだ。
魂があり、心があり、肉体がある。
肉体の中には、臓器や器官などがあり、それもすべて関わっている。
霊障のせいでどうのこうのも、一理ある。
しかし、
その霊障を、引き寄せているのは、人間の方なのだ。
なので、わたしは、
集団に伝えて、わかってても、わからなくても良いから、信者を集めて優越感に浸ることなど、全くの無意味で、
効率や合理性ではなく、
1人1人が「どう生きるか?」と向き合うことにこそ、意味があり、
未来に続く、ホンモノのダイヤモンドの原石を丁寧に磨いていくこと意外にないと信じている。
茜も、『妄想やりっぱなし理論』から、脱却した1人。
脱却するまでのプロセスは、相当な経験をして、丁寧に自分の人生を、『やり直した』から。
それでも、気を抜けば、いつでも元に戻る。
わたしだけと対峙するのはハードルが高いかもしれないが、
ここには、茜の存在があり、あなたの背中を押してくれるだろう。
当然、こういった取り組み(生業というよりも、取り組みと言った方が、しっくりくると気づいた。)をしているので、当然だ。
「難あり」が悪いと言ってるのではなく、それが事実というだけのこと。
いろんな方々の人生と向き合っている中で、
わたしも、常に学びがある。
わたしには門下生がいたが、
この1年間、わたしと離れたことで、無意識のうちに選択肢が狭まり、気づいたら元通りになっていた。
みんな、
「いくちゃんとは離れたんだし、自分でなんとかしなきゃ!」
と、間違った方向に、気合を入れていたのかもしれない。
わたしは、
「外に修行に出て、自分の実力を試しておいで。」
と言ったはずで、困ったことがあれば、いつでも尋ねておいで。と。
しかし、事実を『どう捉えるか?』というところにも、レベルが生じ、
わたしが伝えた言葉が、なぜか、素直に伝わらない。
その結果、
ずいぶん、困り果てていたような状態だったり、
早くに、逃げてしまっていた状態だったり、
簡単に言うと、過去の状態に元通り。
わたしも、こんなに見事に元通りになるんだな。と、衝撃だった。
(茜だけは、他の人とは違い、自分からわたしと離れないように取り組んでいたので、元通りにはなっていないが。)
ちょうど1年。
この1年というのも、ちゃんと理由があるんだな。
と、感じた。
1年未満であれば、まだ軌道修正ができる状態。
しかし、1年以上であれば、もう一度、1からやり直しの状態。
これまでの経験も重ねて分析すると、おそらく、この理由も間違っていないと思う。
だから、
ちょうど1年が経った頃に動き出し、動き出した途端に、バタバタと答え合わせしたのだろう。
門下生たちも、今では、幾重塾の塾生となり、もう一度、学び直している。
しかし、
過去の経験があるので、1からではあるが、想像ができるので、理解のスピードは速い。
幾重塾は、完全に個人的なやりとりなので、それぞれのペースで取り組むことができ、遠慮なく質問もできる。
わたしからの言葉も、しんどい時もあるが、
それは言葉がしんどいのではなく、
今まで、自分も他人も、知らん顔してきた部分を刺激されることがしんどいのだ。
「難あり」は、ほぼ親から受け継ぐ。
親自身も、その親から受け継いできた。
いわゆる、負のループ。
何がそうさせるのか?
というと、だいたいが、『妄想癖』『モラハラ』。
本人は、理想だと思い込んでいるが、妄想でしかない。
そもそも、想像は、自分の経験を元に作られる。
つまり、経験が乏しい時点で、想像力が豊かになることはない。
(妄想力なら、ものすごいが。)
そして、
想像ができるから、言葉が生まれる。(表現しようとする)
想像したものを、どう伝えるか?
想像したものが、ハッキリとあるから、言葉を探そうと思うし、伝えようと思うのだ。
自分に経験のないことを、勝手に妄想して、
子どもにあたかもそれが正しいと刷り込みを行っていること時点で、地獄なのだ。
そして、
もっと厄介なのは、妄想だから、失敗を嫌う。
自分に経験がないから、失敗したときの対処法などは全く身についていない。
そのため、子どもにも、失敗したことを執拗に責め「失敗させない」ようにしようとすることしかできない。
バカが子育てをしたら、バカが育つのは、当たり前のことなのだ。
それは、『妄想やりっぱなし理論』でしかなく、バカの教科書かもしれない。
その、妄想やりっぱなし理論で育てられた人間は、『やり直す』という選択肢を持っていない。
失敗してはいけないので、とにかく誤魔化して誤魔化して誤魔化し続ける。
そのため、大人になると、本当の信頼関係が築けず、周りには、良いように利用しようとする人間しか集まってこないか、完全に孤立するかの、どちらかの人生となり、地獄絵図。
本人も、過去に対して当然疑問は持っている。
しかし、自分にあるのは『妄想やりっぱなし理論』。
なので、
自分の失敗は、100%誰か(何か)のせいだし、
したこともないことを妄想して落ち込むし、
やり直すことはせずに、常に言い訳とセットで誤魔化すことしかできない。
そのため、
自分の過去を利用して、
「私の過去はこうだったから、今でも私は、こうなんですー!」
と、悲劇のヒロイン(ヒーロー)を演じ、
自分の過去を盾にして、ひたすら逃げ隠れを繰り返すだけの人生を歩む。
そして、
また、自分の子どもに、『妄想やりっぱなし理論』を無意識で、伝えていく。
・・・
わたしからすれば、もはや脳の認知機能の異常も含まれていると思っている。
これをも、わたしは伴走者として伴走している。
そこら辺のレベルのスピリチュアル程度で、
人間が幸せになるなんて、そんな簡単なものではないのだ。
魂があり、心があり、肉体がある。
肉体の中には、臓器や器官などがあり、それもすべて関わっている。
霊障のせいでどうのこうのも、一理ある。
しかし、
その霊障を、引き寄せているのは、人間の方なのだ。
なので、わたしは、
集団に伝えて、わかってても、わからなくても良いから、信者を集めて優越感に浸ることなど、全くの無意味で、
効率や合理性ではなく、
1人1人が「どう生きるか?」と向き合うことにこそ、意味があり、
未来に続く、ホンモノのダイヤモンドの原石を丁寧に磨いていくこと意外にないと信じている。
茜も、『妄想やりっぱなし理論』から、脱却した1人。
脱却するまでのプロセスは、相当な経験をして、丁寧に自分の人生を、『やり直した』から。
それでも、気を抜けば、いつでも元に戻る。
わたしだけと対峙するのはハードルが高いかもしれないが、
ここには、茜の存在があり、あなたの背中を押してくれるだろう。