先日、友人がわたしと茜に、プレゼントを持ってきてくれた。
それは、『筆ペン』なのだが、筆ペンそのものよりも、柄(え)の部分の柄(がら)に、友人は着目したのだ。
その柄(がら)を見た時に、わたしを思い出したようで、また、別の柄(がら)を見た時に、茜を思い出したそう。
そして、そのままそれを購入して、わざわざ届けてくれるのだから、わたしたちからすれば、なんと奇跡か。
(しかも、ちょうど筆ペンのインクが切れそうなタイミングだったことも重なり、実に奇跡。)
それは、『筆ペン』なのだが、筆ペンそのものよりも、柄(え)の部分の柄(がら)に、友人は着目したのだ。
その柄(がら)を見た時に、わたしを思い出したようで、また、別の柄(がら)を見た時に、茜を思い出したそう。
そして、そのままそれを購入して、わざわざ届けてくれるのだから、わたしたちからすれば、なんと奇跡か。
(しかも、ちょうど筆ペンのインクが切れそうなタイミングだったことも重なり、実に奇跡。)

さて、友人と談笑する中で、『謎の教祖』の話になった。
友人も、わたしのお客様。知り合ったのは、とあるボランティア団体に参加したとき。
その時は、わたしも自分の正体を話さずにいたのだが、正体を話さずに、人間関係の様々な話を伝える場面があった。
そして、『2つのストーリー』も、ほぼリアルタイムで話をした1人だと思う。
わたしが何者なのかわからない時から、なぜかわたしの話を100%信じて聞いてくれる1人だ。
その『謎の教祖』とは、
人間の頭の中に、必ずといっていいほど、棲みついている。
そして、その教祖が頭の中で、
「ああしろ」「こうしろ」
と指示をするのだが、その指示に、ほぼ100%従うという謎の結果も出ているのだ。
これは、数年前にも、門下生のみゆきちゃんにも同じ話をしているのだが、
日々の生活の中で、自分にとってもうまくいかない場面があり、それを脱却するには?と、わたしから新たな価値観と、選択肢を得て、
「なるほど!」
と、納得する。しかし、後日うまくいかない場面に差し掛かり、わたしから得たことを思い出した瞬間に、頭の中の教祖が現れて、
「え?ホントにそうなの?」
「それ、しなくても良いんじゃない?」
と、言ってくる。
すると、謎にその教祖に従い、結局、同じ結末を招き、意味不明な自己嫌悪に陥る。
という負のループを繰り返す。
その負のループに多大な貢献をしているのが、頭の中の謎の教祖なのだ。
なので、この謎の教祖のチカラが強い人ほど、周りの意見は結果的に聞き入れない。
そのくせ、「自分は悩んでいる」というフリは見せてくる。
要は、自分の頭の中に、思い込みや思考の偏りを材料に、自分で作り上げた、
【自分教の教祖】(またの名を『謎の教祖』)
を、崇拝し信仰しているのだ。
なので、本や講座、セミナーなどから、たくさんの新たな知識は一応は取り入れても、いざ実践する場になると、自分に伴走してくれるのは、頭の中の謎の教祖。
その教祖は、これまでの自分の選択を尊重する【自分教の教祖】なので、これまでと何も変わらないことを推奨され、自分もそれに従うので、何も変わらない結果を繰り返す。
この、頭の中の謎の教祖と、たたかわないといけないのだが、なかなか一筋縄ではいかない。
気力も根気も必要で、何より時間がかかる。
なるべく若い、今のうちから、たたかっておかないと、年齢を重ねたら、確実にたたかえなくなる。
たたかわないまま、もしくは、たたかえなくなったら、どうなるか?
それは、
『すべてにおいて、人のせい。』
に見事に責任転嫁する。
こういう人間を、わたしは何人も見てきている。
しかも、
「自分はがんばっている!」とか、
「相手が悪い!」とか、
当たり前に、平気でアピールしている。
そこに、引き寄せられてくる人間も同等レベルで、
それを、
「心置きなく話せる友だち。」
と思い込んでいるので、かなり厄介だ。
これは、家庭の中でも当たり前に起こっている。
そんな環境を作り出していながら、子どもには、真っ当な人間になってほしいと、願うことは謎に大きいので、子どもには、一方的な口出しが止まらない。
そんな状態で、育った子どもが、「のびのびとする」経験などあるわけがなく、決まりに従うだけの人間になるのは当然だ。
これを、ある場面では、精神的な虐待(心理的虐待)につながることなど、微塵も理解することはない。
そして、子どもが成人すると、
「あー!子育てが終わったー!」
と、誰よりも真っ先に言い出す。
自分が子どもにつけた傷のことなど、見向きもせずに。
これを読んでいる人の中には、自分の親のことを思い出す人も多いだろう。
そして、無意識のうちに、親のせいにしているのなら、あなた自身も、親と同じ選択をしている可能性は高い。
そして、同じように育てられた、目の前の子どもはどうなるか?
あなたと同じようになるのは当然。
それが、負のループなのだ。
何歳になっても、知識は当たり前に必要だ。
しかし、知識だけでは乗り越えられない。
何歳になっても「経験が必要」なのだ。
その経験をするときに心強いのが、伴走者。
さぁ、あなたは誰の伴走の元に、経験を積んでいくのか。
友人も、わたしのお客様。知り合ったのは、とあるボランティア団体に参加したとき。
その時は、わたしも自分の正体を話さずにいたのだが、正体を話さずに、人間関係の様々な話を伝える場面があった。
そして、『2つのストーリー』も、ほぼリアルタイムで話をした1人だと思う。
わたしが何者なのかわからない時から、なぜかわたしの話を100%信じて聞いてくれる1人だ。
その『謎の教祖』とは、
人間の頭の中に、必ずといっていいほど、棲みついている。
そして、その教祖が頭の中で、
「ああしろ」「こうしろ」
と指示をするのだが、その指示に、ほぼ100%従うという謎の結果も出ているのだ。
これは、数年前にも、門下生のみゆきちゃんにも同じ話をしているのだが、
日々の生活の中で、自分にとってもうまくいかない場面があり、それを脱却するには?と、わたしから新たな価値観と、選択肢を得て、
「なるほど!」
と、納得する。しかし、後日うまくいかない場面に差し掛かり、わたしから得たことを思い出した瞬間に、頭の中の教祖が現れて、
「え?ホントにそうなの?」
「それ、しなくても良いんじゃない?」
と、言ってくる。
すると、謎にその教祖に従い、結局、同じ結末を招き、意味不明な自己嫌悪に陥る。
という負のループを繰り返す。
その負のループに多大な貢献をしているのが、頭の中の謎の教祖なのだ。
なので、この謎の教祖のチカラが強い人ほど、周りの意見は結果的に聞き入れない。
そのくせ、「自分は悩んでいる」というフリは見せてくる。
要は、自分の頭の中に、思い込みや思考の偏りを材料に、自分で作り上げた、
【自分教の教祖】(またの名を『謎の教祖』)
を、崇拝し信仰しているのだ。
なので、本や講座、セミナーなどから、たくさんの新たな知識は一応は取り入れても、いざ実践する場になると、自分に伴走してくれるのは、頭の中の謎の教祖。
その教祖は、これまでの自分の選択を尊重する【自分教の教祖】なので、これまでと何も変わらないことを推奨され、自分もそれに従うので、何も変わらない結果を繰り返す。
この、頭の中の謎の教祖と、たたかわないといけないのだが、なかなか一筋縄ではいかない。
気力も根気も必要で、何より時間がかかる。
なるべく若い、今のうちから、たたかっておかないと、年齢を重ねたら、確実にたたかえなくなる。
たたかわないまま、もしくは、たたかえなくなったら、どうなるか?
それは、
『すべてにおいて、人のせい。』
に見事に責任転嫁する。
こういう人間を、わたしは何人も見てきている。
しかも、
「自分はがんばっている!」とか、
「相手が悪い!」とか、
当たり前に、平気でアピールしている。
そこに、引き寄せられてくる人間も同等レベルで、
それを、
「心置きなく話せる友だち。」
と思い込んでいるので、かなり厄介だ。
これは、家庭の中でも当たり前に起こっている。
そんな環境を作り出していながら、子どもには、真っ当な人間になってほしいと、願うことは謎に大きいので、子どもには、一方的な口出しが止まらない。
そんな状態で、育った子どもが、「のびのびとする」経験などあるわけがなく、決まりに従うだけの人間になるのは当然だ。
これを、ある場面では、精神的な虐待(心理的虐待)につながることなど、微塵も理解することはない。
そして、子どもが成人すると、
「あー!子育てが終わったー!」
と、誰よりも真っ先に言い出す。
自分が子どもにつけた傷のことなど、見向きもせずに。
これを読んでいる人の中には、自分の親のことを思い出す人も多いだろう。
そして、無意識のうちに、親のせいにしているのなら、あなた自身も、親と同じ選択をしている可能性は高い。
そして、同じように育てられた、目の前の子どもはどうなるか?
あなたと同じようになるのは当然。
それが、負のループなのだ。
何歳になっても、知識は当たり前に必要だ。
しかし、知識だけでは乗り越えられない。
何歳になっても「経験が必要」なのだ。
その経験をするときに心強いのが、伴走者。
さぁ、あなたは誰の伴走の元に、経験を積んでいくのか。