2015年12月。


2015年12月。
星野源さんが歌う「SUN」という曲を耳にしたときに、なんともいえない衝撃が走った。

この楽曲自体は、2015年の夏あたりに、カラオケで友人が何度か歌っていたので、題名などは知っていた。
しかし、わたしはあまりドラマなどを観ないので、12月になって初めて、ご本人が歌う「SUN」を聴いた。

アップテンポの楽しいリズム。カラオケのときに、MVも目にしているので、カラフルな曲のイメージもあった。

しかしだ。

星野源さんの声で歌い出した途端に、わたしは訳もわからないままに、心をギューッと締め付けられるような感覚が生まれた。
彼の言葉は、明るい歌詞を歌っているはずなのに、その声からは、『過去の悲しい記憶』を感じるのだ。

「SUN」を聴きながら、とめどなく流れる涙がわたしには、理解できずに、

「この人、何があったのか?」

と、すぐさま、彼のことを調べた。
案の定、彼の過去には、悲しい時間が存在した。
それからの彼は、常に生きることの意味を探しては、意味なんてないという結論との、ループを繰り返していたのではないかと感じた。

その後、「SUN」という曲の前に、突然、大病を患うこととなる。死の淵を彷徨うくらいの大病だったが、わたしは、
「彼は、生まれ変わったんだな。」
と、感じた。

病気の前と後では、楽曲自体もガラッと変わっている。

過去の悲しい記憶も含めて、
「いろいろあったけどさ、もういいじゃんね!」
というような気持ちを「SUN」の楽曲に乗せているように感じたのだ。


12月中、星野源さんのことばかり調べていたのではないか?と思うくらい、没入していた。

・・
今思えば、
それが、『周波数から読み解く能力』だったのかもしれない。


しかも、2016年が明けてすぐ、わたしは夢を見た。
とても印象的な夢だったので、この夢にどんな意味があるのか?と思い、携帯で夢の意味を調べた。

すると、その意味は、

「死」

だった。
今思えば、そんなこと、表示されるだろうか?と思うが、その時は、ハッキリと表示された。

「あぁそうか。。わたしは死ぬのか。。」

瞬時に悟った。
そうだ、わたしは、20歳の時に、
「わたしに、30代後半からの人生があるのか?」
と、感じながら過ごしていたことを思い出した。
その後、20代後半になったときにも、同じことを感じながら過ごしていた。

それを、このタイミングで突きつけられた。
35歳だった。

2016年6月で、36歳になる。
そうか、あと半年か。。。


さぁ、困った。確信のない死をどう迎えるべきか。
何が最善か?どうしたら周りに受け入れてもらえるか?

いろいろ考えたが、こういう場合は、
「至って当たり前の生活を、当たり前に過ごす」以外に、最善なことはない。と知った。


そして、もう一つ、知ったことがある。
「過去の後悔よりも、生きる未練に襲われる。」ということだ。

この未練が、ものすごく苦しい。
だからこそ、心を止めてはいけないのだ。

未練があるなら、今を生きるしかないのだから。


それから10年が経つ。
つまり、わたしもあのとき、生まれ変わったのだ。
それは、それまでの人生とは違う人生を歩むことになる合図だった。


星野源さんの声を聴いて、彼のそれまでの人生を視たのも、わたしの『周波数から読み解く能力』が高まったことを、知らされたのかもしれない。


顔写真を見るだけで、その人がどんな人かがわかるのも、周波数から読み解いているのかもしれない。

それは、声からも。
そして、その人が書く文字からも。
(筆跡からでも、その人がどんな人かわかります。)

そういう能力は、生まれつき持っていたのだが、2015年頃から、さらにアップしたのかもしれない。



それから10年が経つ今年は、わたしにどんな変化が起こるのか。