龍の背中に乗ったら。


先日、とある動画を聞き流していたら、

「龍の背中に乗ったら、物事の展開がはやいんですよ!普通の人の10倍くらいのスピードなんです。それでも、全然疲れなくて、エネルギーがどんどん湧き出して来る感じなんですよね!」

というお話をされていて、

あー、そうそう。

と、久しぶりに、なんというか、初心に戻った気持ちになった。


わたしがそれまで関わった人は、必ずものすごい展開がおとずれてきた。
茜のコンサルで、3年で30年分の経験をしたのも同じことで、一言で言うと、
『龍の背中に乗った状態』
なのだ。

この場合、大半は「龍」という存在(神のエネルギーなのだが)があって、その背中に自分も周りも乗るというイメージだろうが、わたしは、少し違う。


わたしの場合は、わたし自身が龍であり、『わたしの背中に乗せる』というイメージの方がしっくりくる。


ただ、人間というものは面白いもので、最初からは絶対に言うことを聞かないのだ。
本人が、経験して腑に落ちなければ想像ができない。つまり、人間は、自分に想像ができないことは、聞く耳を持たない。

つまり、背中に乗せても、おとなしく乗っている人間に会ったことがない。

おとなしく乗っていることは正論かもしれないが、その人にとって幸せではないことを、ここで証明される。

そのために、必ずわたしも傷を負う。
時間をかけるべきところばかりではない。
とっとと飛び越えなければ[間に合わない]場面だってある。
そこで、必ずわたしとの攻防が始まるのだ。
(それが人間との関わりのシナリオだから、良いも悪いも思っていない。)


とっとと飛び越えなければならないところは、人間からすればとても恐ろしく不安な場面だと思う。
その最初の一歩をとっとと経験しなければ、その先には行けない。
そこの最初の一歩を踏み出しても、次の、最初の一歩が待っている。
最初の一歩は、人生で1回だけだと思い込んでいる不思議な思考になる人間がいるが、そんなわけがない。死ぬまで、最初の一歩をたくさん繰り返した者が、
「豊かな経験をしてきた」
と言えるのかもしれない。


誰彼、背中に乗れるわけではないことも、最近、改めて理解した。

魂は、背中に乗りたがっていても、思考レベルがそれに達していない者もいる。
この場合、背中に乗せても、
「自分にはそんな資格があるはずない!」
と、自分から降りてしまう。

だから、背中に乗っている自覚を感じないままだから、無意識のうちに乗らない選択をする。

こうなったら、もう乗せようがない。
(背中に乗らない方が、その人にとっては幸せだということ。)


2017年頃には、こんなことをものすごく実感して過ごしていたと思う。

当たり前のことを当たり前に実感していて、その繰り返しで、そのことをわざわざ話すこともせずに、自分の中で納得して終わっていた。

こういうことは、みんなも知っているはずで、わざわざ話すことではないとも思っていた。

だけど、意外と知らない人も多く、こういうことを聞きたい人も、まだまだたくさんいることも知った。
(なんでも質問してください。わかることは、お答えしますので。)


これだけ、いろんな人の人生の展開を共に経験しても、ケロッとして眠れるのだから。
(悪夢なんて見ずに。普通なら、茜との悪夢とか見てもおかしくないでしょ。)


先日、3か月ぶりにお越しになったお客様で、その方も、わたしから課題を言い渡されていたのだが、なんとかその方なりに向き合って、その経過報告もいただくことができた。
その日は、茜もいて、わたしは茜のことを例に挙げてお話する中で、
その方が、
「茜さんは、凄すぎる!いくえさんにそこまで言われても、逃げ出さなかったのだから!」
と、おっしゃっていた。
(ある意味、茜の存在がどこか励みになったのかもしれない。)


そう、普通ならとっとと背中から下車するかもしれない。
だけど、下車した先に待っているものは?
[今の苦しみ]から逃げて、一生を棒に振る人間の方が遥かに多い。



目の前に龍が現れ、
「乗るか?乗らないか?」
と言われたら、あなたはなんと答えるか?
その答えの責任は、100%あなたにかかっている。

さぁ、どうする?