完璧な人になりたい?


個人カウンセリングをしていると、
かなりの割合で、完璧を目指している人に出会う。

中でも、
『完璧な母親』
を目指している人が多いのだが、


「自分は完璧じゃないから・・」
と、落ち込んでいる現状。


わたしが、
「あなたの思う完璧は、何を基準にしているのですか?」

と、たずねると、

「え・・・?」
と、すぐには答えられない。

しばらく考えたあとに、
自分が思っている完璧は、世界基準だと思っていることがわかる。

しかし、
それは世界基準ではないと、伝えると、
とても驚いた様子で、うろたえる。


これを読んでいるあなたも、
自分の頭の中で思っていることが、
当たり前に世界基準だと思っていることが
1つや2つはあるはず。

・・という疑いを、
自分の思考に向けることも必要なのだ。




では、そもそも、
なぜ、そういう『思い込み』が発生するのか?


それは、自分の価値観から生み出される。
その価値観とは、何を基準にしているのかというと、大半は、過ごしてきた環境に伴う。


その環境を作ってきた人の価値観に、大いに影響されながら、自分の価値観はつくられていく。




『完璧な母親』を目指す人は、
大半が、自分の親との確執がある。

そして、「親のようにはなりたくない」と胸に誓い、『完璧な母親』を目指す。


その時点で、わたしからすれば、
「そういう思考があなたの親と同じ」
と、感じる。

親もまた、自分が完璧になることで、
「子育てを失敗しないように」
「世間からはじかれないように」
と思って、あなたを育ててきたのだろう。


つまり、
『完璧な母親』
を、目指している時点で、頭の中は、自分のことしか考えられない価値観だということ。


あなたの親が、自分のことしか考えでいないことに、疑問と不安と寂しさを感じながら、あなたは生きてきたのだろうに、

あなたが、目指しているロールモデルは、結局、親と同じ価値観の中に存在している。


あなたが『完璧な母親』になったら、
誰が幸せになるのか?

あなたは、子どもの頃、親に、
完璧さを求めていただろうか?




あなたに寄り添い、
ともに喜怒哀楽を共有したり、
たまにはぶつかったり。

親の背中を見て、楽しさも苦しさも、感じ取りながら、生きていく理由の1人になれば、
それで良いのではないだろうか?

ここのどこに、『完璧さ』があるだろうか。
親の背中から、何をどう学ぶかは、
あなたの力量だ。



『完璧な母親』が、子どものためである。

と、思い込んでいる時点で、
あなたの思考に、子どもの本心のデータがどれだけあるのか。

あなたが想像する架空のデータではなく、
目の前の子どもの本心のデータだ。

親は、意外と、そのデータを保存できていない。
親になったあなたは、どうか?




『完璧さ』というものは、
どこまでいっても、自分の自己満足にしかならない。


あなたは、
世界中が、満場一致で、支持する『何か』を見たことがあるか?

何十年とこの世で生きてきているはずだが、
おそらく、見たこと無いはずだ。


あなたの信じる神でさえ、
それを否定する人は、世界中にたくさん存在する。

その事実を知っていても、
あなたは、まだ、『完璧さ』を自分に求めるのか?



必要なのは、『完璧さ』ではなく、

『相手を知ろうとする姿勢』だ。


相手が、子どもだろうと、家族だろうと、
他人だろうとなんだろうと。

もっと言えば、
病気のことも、
常識だと言われていることも、
仕事のことも、
自然のことも、
歴史のことも、

何にせよ
知ろうとしなければ、

理解できることはない。


知らずに
理解している気になっているのは、
ただの『思い込み』。


自分の思い込みに気付いたのなら、
自分で、自分の価値観を広げる環境に身を置くことだ。


あなたは、『誰と過ごすか?』