【ブログ】日々綴り ~幾重の世界~

岐阜出張のお客様でNさんという女性がいる。 彼女は、いろんな思いを抱え、わたしの前に現れることも、ものすごい覚悟だった。 何度か、お会いする中で、なんとなく彼女の過去(前世)が点となって視えてくるようになった。 その点を伝えると、彼女の事実と必ず繋がる。 彼女は、今世は岐阜生まれ、岐阜育ちだが、過去は熊本に縁があるのでは?...
先日、幼なじみのAちゃんからLINEで連絡があった。 彼女とは、保育園の時からの付き合いの1人。 それぞれの道を進んで活躍している。 彼女は、学校の先生でありながら、ピアニストでもある。 長らく支援学校に勤めていた(はず)で、その後、不登校の子どものクラスを待つなど、いろいろな経験を積んでいる。 その彼女から「子どもが生まれたよ」の連絡。...
すべてのものに、レベルがある。 レベルを良し悪しで判断するのではなく、「違い」で判断できると、目に見えるものも見えないものも、これまでの見え方とは変わってくる。 人間にだってレベルはあるし、 神にだってレベルがある。...
前回の「『因幡の白兎』と茜。」では、 因幡の白兎という神話が人間のことを実によく表しているという話をした。 茜にフォーカスすると、白兎と重なる。という観点で、わたしなりの解釈を記した。 もっと言うなら、本物の神なら意地悪なことなど選択肢にないのだが、それもまた人間界を巧みに表しているということなのだ。 白兎は決して神ではない。...
『因幡の白兎』の話を知っているだろうか? ※因幡の白兎のあらすじ→コチラ(外部リンク) 昔話とした神話なのだが、これは人間の世界をよく表している。 2021年2月28日。 その日、わたしは初めて出雲大社に参拝に行った。 神社仏閣にまったく興味がないわたしが、2020年10月に「出雲大社に行ってみたいな」と思ったのだ。何の目的はなく、ただ行ってみたい。と。...
人間とは、何事にも良し悪しの判断をつけたがる。 この、良し悪しとは、 「自分にとって、都合が良いか、悪いか。」 というもので、良し悪しの基準は、すべて、自分の中の価値観で決まる。  良しとしていること。悪しとしていること。 それをみれば、その人がどういう人間かすらわかる。 添加物や電磁波、歴史や医療など、たくさんの情報が入ってくる。...
この生業をしていると、子どもに関する相談も多い。 中でも、不登校に関することは多く、それは親が、子どもが不登校だということが『良くないこと』だという認識が拭えない状況がある。 そしてもう一つ、親が『学校は楽しいところ』でなければならないという思い込みもある。 子どもが、学校に行かない理由はそれぞれだ。 つまり、1人1人に理由が存在する。...
わたしは、コーヒーが飲めない。 子どもの頃は、ブラックが飲めずに、コーヒー牛乳がすごく美味しかった。 大人になっても、なかなかブラックが飲めずに、しかしコーヒーの香りは好きだった。 それが、32歳の時に、急にブラックが飲めるようになった。それが嬉しくて、ガブガブ飲んでいた。...
先日、大阪の友だちY子からの連絡で、 「鳥取の友だちが亡くなったら、お通夜に参列してくる。」 と連絡があった。 「なんか、いくちゃんに伝えておかないといけない気がして。龍球ネックレスをつけて行ってきます。」 と。 わたしは、 「友だちがくれた日帰り旅行だと思って、周りの景色を見ながら行っておいでね!」 と、返信をした。 Y子の友だちTさん。...
前回のブログ『結界。』で、茜との口論の話を書いた。 わたしは、この口論でも、決して2人だけの世界にしない。 信頼のおける人物を巻き込んで、客観的目線というものを必ず設ける。 人間は、狭い世界の中では『お山の大将』になりがちだ。自分と相手との2人の世界だと、優劣で話が進んでしまう傾向にある。...

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